夫の体調がだいぶよくなってきた。

悪くならなくてほうっとする。

もしかしたら花粉症(ヒノキのほう)なだけだったのかも知れない。

いずれにせよよかった。


天気がいいので布団を干す。

あたたかいひざし。太陽のにおい。


昼過ぎに、 中野に新しくできた薬膳鍋の店に行く。

前はしゃぶしゃぶのお店だったのだが、居抜きで違う店になったらしい。

夫の体調のこともあるので、野菜がたくさんとれてからだにいいものを食べよう!ということで

出かけていった。

しかし・・・いまいちすぎだ・・・。

これで薬膳といってはまずいのでは?という内容。

やはり東京で食べる薬膳鍋は、天香回味をうわまわる店は出ないのだろうか。

うわまらなくてもいいけれどもせめて同じくらいのレベルの店がうまれるのが先か、

あるいは天香回味の接客がひととしてまともなレベルになるのが先か。

いずれにせよ遠い道のりか。


その後、夫が「ぷよぷよ」というテレビゲームがしたいというので、

南口のツタヤやブロードウェイのまんだらけなどを回遊。

Wii版?はどこにもなくて、プレイステーション版?というのを買う。

夫は長い休みになると発作的にテレビゲームをする。

それも朝まで、というような長い時間を使って。数日間、集中的にゲームをする。

たぶん長い時間軸における気分転換、の手法なのだろうと思う。

短い時間軸におけるフットサル、とか本を読むこと、のような。

夫がそれで満足するならそれはそれでいいと思っている。

のだが。夫は「ナオも一緒にテレビゲームをしたいに違いない」と思っているらしく、

いつもいつも「一緒に戦うモード」とか「対戦するモード」とかを選択する。

正直言って私はテレビゲームにはほとんどまったく興味がない。

ひとりでやってくれて(むしろ)いいのになあーと思うのだが折角の夫の好意をむげにするのも悪いし、

というのが長い休みのちょっとした、かつ平和な悩みごとである。


ブロードウェイの小さなお店でソフトを購入し、

夫が地下で髪を切っている間、「さかこし珈琲店」で待つ。

しばらくしてやってきた夫、短く切りすぎたことを気にしているが、とても似合うと思う。


一旦帰宅し、布団を取り入れ、

夕方にフットサルに行く夫を送りがてら高円寺へ。

京都への手土産の下見をしつつ、伊藤陶器店で花瓶と湯呑み茶碗を買い、

「ネルケン」に寄る。

特等席はめずらしくまたしても埋まっていて、マダムに「ごめんなさいね顔」をされるが「気にしないでいいですよ顔」を返しておく。


今日の「ネルケン」はブラームスの「ハンガリー舞曲集」。

ロマ族の音楽はこころ踊るものが多い。


子どもの頃に「世界の民族衣装」というハンカチを持っていて、それは一枚のハンカチに世界各国・・・確か30カ国くらいの民族衣装を着た女性のイラストがプリントされていたものだったのだが、

そのなかでいっとう好きだったのがハンガリーの民族衣装だった。

子ども心に、いつかこんな素敵な衣装を着てみたいなと思っていたものだ。

また子どもの頃、自宅にたくさんあったレコードのなかで繰り返しひとりで聴いていたのが

なぜか「ハンガリー舞曲」だったのだ。すっかり忘れていた。


数年前にハンガリーに行って、ブダペストのブダイ・ヴィガドーという劇場で、

ハンガリー国立の民俗舞踊を見てきたのだが、

そうだ、いま思い出した。

どうしてあの旅行のとき、あんなにハンガリーで民俗舞踊を見ようと思ったのか、

そのわけをすっかり忘れていたのだが

そういう理由があったのだ。すっかり忘れていた。


そんなことを「ハンガリー舞曲」を聴きながら思い出したりした。

高円寺の「ネルケン」で。


舞曲集を全曲聴いたところで帰宅する。

駅で母から短い電話。

祖母の容態がよくないようだ。心配。


友人からいまの会社を退職することになったという正式な連絡がくる。

前からちょっと話を聞いていたのだが、よかったと思う。こころから。

一日のうちもっとも長い時間を「仕事の時間」としているわけで、

それゆえ、その場所、というのはとてもたいせつなことだと思うから。

彼女のこれからのために祝杯をあげたい。

朝ごはん。

夫はカレーののこりと豆腐と若布と葱の味噌汁。

私はヨーグルトとドーナツ。


昼ごはん。

薬膳鍋。


晩ごはん。

鶏のから揚げ、塩だれをかけたキャベツ、豆腐と椎茸と葱の味噌汁。