一昨日のぽかぽか陽気はどこへやら、

昨日は寒い一日。


夫は寒い日は事務所に行かない傾向があるので(事務所は北向きなので寒い。夫は寒いのがとても苦手)、

いえで仕事をするのかな?と思っていると案の定だった。

私もいえで仕事。

Nさんの代打で仕事を引き受けてくれる方のために、制作料金をまとめたメニュー表を作成したり、手順書を作ったりする。


Nさんはまだ目をさまさない。

面会謝絶なのであれから病院には行けていないのだが、連絡係の幼馴染Gさんによると

状況はまったく変わらないとのこと。

毎日毎時間気にしているので1ヶ月くらい経ったような気がしてしまっていたが

倒れてからまだ1週間とすこしなのだ。

引き続き快復を祈る。


大阪在住のご両親はずっと東京にいて、最初の数日間はホテル住まいをされていたが、

いまはNさんの部屋から病院に通っていること。

来年結婚する予定の恋人はウィークリーマンション住まいで(仕事は休んでいる)、

唯一東京在住の弟さんは月曜日から仕事に復帰したとのこと。

入っていると思っていた生命保険は、医療保険がないタイプで、入院や手術の費用は保険がおりないこと。

そんなことをGさんから聞く。

信じられない!医療保険に入っていなかったなんて・・・。

29歳の若さでは、自分が長期入院する可能性、というのを想像できなかったのだろうか。

夢のない話ではあるが、私は20代後半で保険に入ったときに「結婚するかしないかもわからないので、一生独身だとして、交通事故で身体障害になり働けない体になったとしても誰にも迷惑がかからなくて、かつ掛け捨てではなく貯蓄タイプの保険にしてください」といって、外交の方に笑われたくらいの人間だ。

まったくもう。と眠っているNさんにたいして思う。

早く目をさましなさいよ。こんなにみんなが待っているのに。


奇しくもNさんが倒れてから数日後に同じクモ膜下出血で倒れた巨人の木村コーチが亡くなった。

残念に思う。

まだ37歳。無念だろう。

お子さんが3人いるという。お悔やみ申し上げる。


クモ膜下出血の恐ろしいところは、無自覚のうちに死が訪れることだろう。

「今日の14時に意識がなくなりますから」とわかっているわけではないので

なんの準備もできない。こころの準備も含めて。

ただNさんのこともあり、それ以降いろいろと調べていると、まったく自覚症状がないことでもないらしいことがわかった。

たいていのひとは脳動脈瘤が破裂する数ヶ月とか半年くらい前から頭痛を自覚する。

たとえ私のように頭痛持ち、であったとしても、それとはちょっと違う痛みや頻度になるらしい。

その段階で脳動脈瘤を発見できていたら切除手術ができる。

つまり最後に破裂する瞬間を自覚できないだけであって、破裂の予防はできるというわけだ。

さらにいうと、最後に破裂する瞬間、も、いつもと違う感じがする・・・たとえば「ぴしっ」とか「ぱしっ」とか、脳のなかで何かが切れる感じがする、というふうに生還後に言っていらっしゃる方が多数いる。

仮に脳動脈瘤が破裂してしまったとしても、この「ぴしっ」の後に、脳を刺激しない上体で病院に行き適切な手術を受けることが九死に一生を得ることの秘訣であるようだ。

ただ「ぴしっ」に気づけるような状態に自分を置いていられることは偶然と幸運の産物だろう。

木村コーチのようにスタジアムにいたり、Nさんのように道を歩いていたら気づかないだろう。


つまるところその前の、「いつもと違う頭痛」に対して、いかに自覚的にいられるか。それがたいせつだということ。


午後、銀行にいくという夫と、昼ごはんをついでに食べようということで外出。

なに食べたい?というと「ザッツバーガー」という。

夫は最近、ザッツバーガーがとても気に入っている。

しばらく本を読んでからスーパーマーケットに立ち寄り、帰宅してまた仕事。


申し込んでいる学校はついに空きが出ないらしく、通えなさそうだ。

世の中では私が学びたいと思っていたジャンルにこんなにも人気があったなんてびっくりだ。

だって申込日の当日に申し込んだのに、その時点でキャンセル待ちなんですよ。

ただまあ、ここのところの自分の状況では、

少なくともここ1~2ヶ月は1週間のうち固定の時間を取られるのは厳しい状態なのでよしとする。

独学でも勉強できることなので、その方向に切り替えよう。


朝ごはん。

ベーコンエッグ、トースト、ヨーグルト。

早起きして先に食べていた夫もベーコンエッグだけ一緒に食べる。


昼ごはん。

ザッツバーガーにて。


晩ごはん。

ナムルの残り、鮭の塩焼き、釜揚げしらすと大根おろしのぽんずしょうゆがけ、

明太子焼き、白菜と若布とえのきの味噌汁。


垣根涼介さんの「ワイルド・ソウル(上下)」を読了する。

戦後の移民政策(主にブラジルへの)を扱った小説。

移民問題についてまったく知らなかった自分にまたしても腹が立つ(最近こういうことが多い)。

戦後の貧しい日本においてなけなしのお金を握り締めて「夢の大地」を求めて異国へ渡る。

でもその異国には国から聞いていたような開墾された土地はなくまた日本政府からの援助もない。

帰りたくても日本に帰るお金もなく、言語も分からぬ土地で右往左往し必死で生きようとするひとびと。

ほとんどのひとたちが風土病などで次々と命を落とし、生き残っても「夢の大地」で乞食や街娼にならざるを得ない。中にはパスポートも取り上げれられた移民集団もあったという。

「棄民」・・・なんておそろしい言葉だろう。でもそれが現実。少なくとも事実のひとつだったのだ。

私が知っていた移民は、生き残ったひとたちのなかの、さらにひとにぎりの成功者だけ・・・それも血のにじむ努力の部分をほとんど知らずにいた。

遠い国の遠い昔のこと。その程度だったのだ。


知らないということは、それ自体で罪なのだ。

(本文より)


そう思うからこそ自分に腹が立つ。