朝、焼きたてパンの香りに包まれてめざめる。
ここのところ夫も「朝パン党」になっているので
パンの消化が早い。
おかげでしょっちゅうパンを焼いている。
といっても私が焼いているのはホームベーカリーで、なのだが、
このホームベーカリーってものは、本当に秀逸だと思う。
材料を量ってタイマーをセットしたら翌朝には焼きたてパン、というわけなのだから。
私が持っているホームベーカリーはナッツ類の自動投入機能がついているので(詳しい友人に機種をおすすめしてもらった)、
レーズンとかクランベリーなんかも投入口に入れておけば勝手に入れておいてくれるのだから。素晴らしい。
昼過ぎ、所用を片付けてから事務所へ。
いくつか仕事をしてから夕方、新橋にあるGさんの事務所へ行く。
Nさんのパソコンのデータを抜きに行く作業。
Gさんの机の後ろには、Nさんを含めた仲間たちと飲んでいる写真がたくさん飾ってあった。
今回のことでわざわざ飾ったというふうには見えなかった。
Nさんは顔色が少しよくなってきたという。
いまは家族以外面会謝絶だが、幼馴染のGさんは「従兄です」といって家族と一緒に面会をしている。
早く目を覚ましてほしいが長期戦になるかもね、というのがGさんの見解。
面会謝絶がとけたら、すぐにでもNさんに会いに行きたい。
でもひとまずはいま目の前にあることをどんどん片付ける。そして前へ進むのだ。
数時間かかってなんとか抜き取りを終え事務所をあとに。
夫と新橋駅近くの気に入りのトンカツ屋でトンカツをいただく。
このトンカツ屋さんは、以前、ときどきふたりで食べに行った店。
中野に引越す前は、夫は京急沿線の青物横丁というところに住んでいて新橋まで通勤していた。
会社帰りに待ち合わせをするときや週末に会社に行くときなどは、
京急の新橋駅から地上に出た先にあるこのとんかつ屋さんに寄っていたのだ。
懐かしいねといいながら夫は厚切りロースカツを、私はロースカツをもりもりと食べる。
ふたりともいつもはふつうのロースなのだが、今回、私が厚切り食べたら?といったせいで夫は厚切りを食べた。ふつうのロースカツのほうがおいしい・・・とつぶやいていて申し訳ないことをしたと思うが
交換するわけにいかないので(だって厚切りなんて大きすぎて食べられないもの)、一切れだけ交換してあとはそのままにする。ごめんなさいね。てへ。
朝ごはん。
トースト、ヨーグルト。
昼ごはん。
なし。
晩ごはん。
ロースカツ。
百田尚樹さんの「永遠の0」を読了する。
これまで零戦についてはほんの少しの、かつほとんど偏った知識しか持っていなかったので、
この本を読んで本当にびっくりした。
「きけわだつみのこえ」が私にとっての「零戦」だったからだ。
つまり特攻が乗っていた主な戦闘機が零戦である、というのが事実なのだが、
私にとっての零戦というのは「零式戦闘機」」ではなく「零式戦闘機に乗らされた、主に学徒出陣で特攻隊として非業の死を遂げた史実全般」になっていたのである。
歴史を知らないのにもほどがある。
ネットで補足したところによると(かなりの俄か知識ではあるが)
たとえば零式戦闘機は、太平洋戦争のある時期まで世界でもっとも優秀な戦闘機であったこと。
私は零戦が優秀だったのは日中戦争までで、太平洋戦争時には既に時代遅れなのだと思っていた。それもまた誤りであったことに気付く。
また特攻という作戦そのものは、沖縄戦よりももっと早くから行われていたことも「永遠の0」を読むまで意識していなかった。
これまで読んでいた戦記(戦争を舞台にした小説や随筆が中心)は
海軍のものはすごく少なくて、陸軍主体のもの、しかも南方戦線が殆どだったことももしかしたら関連があるのかもしれないのだが・・・。
それにしたって。知らないのは本当に恥ずかしい。
いまこの平和な世の中をつくるためにどれだけの命が犠牲になったかを思うといたたまれない。
狂気の時代をつくらないことがいまを生きる人間の責務だと私は思う。
事実はある側面では正義だしある側面では悪で不義なことだろう。
ただ私が思うのは、戦争が引き起こすのは、悲劇でしかないということ。
その私にとっての「正」だけは絶対にゆるがないと、改めて思う。