Nさんはまだ目をさまさない。
ただ24時間以内・・・というのは、24時間以内に再出血した場合ということ(だと思う、たぶん)なので、
その危険の時間帯は過ぎた。
脳の状態はかなり悪いという。
低体温治療は昨日で終了した。
あまりわさわさとひとがいるのも
ご家族に申し訳ないので、友人チームは幼馴染のGさんを連絡係にし
それぞれの持ち場に戻った。
私の持ち場。
みんなの持ち場。
それはNさんがいつか復活してきたときに
おかえり、待ってたよ、といえる環境をつくっておくこと。
事務的なこともすすめないといけない。
たとえばNさんに担当してもらっていた分の仕事。
いま進めている分と、これから進むであろう分。
いつくもある仕事をまとめて引き受けてくれそうなひとと会い、快諾してもらえたので
ひとまずそのひとに託すことにして
しかしNさんの自宅のパソコンからデータを抜いてくるとか、そういうこともある。
気が重くてもそういうことひとつひとつをしないと。前に進まない。進めない。
Oさんからメール。
「無事に戻ってきてくれることを祈ってます。
待っている人がいっぱいいる」
そうですよね、Oさん。そのとおりだ。
Oさんはこういうとき、すうっとこちらの胸が軽くなるようなメールをいつもくれるひとだ。
おおきないたみをもったことがあるひとだからこそ紡ぎ出せる、魔法の手。魔法のことば。
ありがとうございます、Oさん。
夜、パスタキッチンで食事。
食べられるときにきちんと食べて健康を保つこと。
どんなに悲しくてもつらくても目の前におおきなことがあってもそうしようと
夫とふたり決めたのでもりもりと食べる。
シェフもスタッフのみなさんも和やかで明るくて元気になる。
夫がいま考えている新しい仕事について相談。とてもおもしろそうでわくわくした気持ち。
深夜にオモニからメール。
Nさんのことを一昨日、京都のお姉さんに伝えておいたら
(家族の健康管理をちゃんとせなあかんなと気を引き締めたという頼もしいメールがきた。さすが姉さん)
オモニにそれが伝わって、水曜日の夜の礼拝で信者の方々とNさんのことを祈ってきたとのこと。
京都でも毎日祈っていますと。
ありがたいなあ。
プロテスタントとか、そういう宗教や宗派のことは私はよくわからないけれども
そんなふうにみんなで祈りましょうと声をかけたり、
また見ず知らずのひとのことを毎日祈ってくれているということも、
(アボジとオモニは本当に毎日「祈りの時間」を設けて、家族の健康や平和な世の中を祈っているので、そこの題目に入れてくれたという意味だと思う)
きっとNさんのこころに伝わると思う。
いちにちいちにちを大切にしようと思う。