夕方。
仕事仲間のNさんが倒れて意識不明だというので、とるものもとりあえず
夫とT大学病院へ急ぐ。
Nさんはここ3年あまり、つまり独立してからの私と
常に一緒に仕事をしている仲間であり友人でもある。
29歳の好青年だ。
そのNさんが。
自宅の近所のコンビニを出たところで倒れているのを通りがかりの人が見つけ
そのとき既に心臓が止まっており、意識もなく。
救急車で近くのT病院へ運ばたのが14時半頃。
たまたま服のポケットに入っていた名刺入れからNさんの幼なじみに連絡がつき、
その親友から夫のところに連絡がきたのが15時半。
16時に救急の家族控室に着くとそこにはNさんの幼なじみと、
弟さんがいた。
外傷もなく、なにがなんだかさっぱりわからないが、
とにかく意識がない。心臓は先ほど動き出したとのこと。
大阪に住むご両親には弟さんからすぐに連絡がいっていたが、
来年には結婚することになっているやはり大阪に住むNさん自慢の恋人に連絡したり
倒れる2日前に一緒に飲んでいたという大学時代の親友にも連絡を入れる。
救命救急室には次々とちがう急患と家族や友人や恋人たちが訪れる。
中から医師に呼ばれ、たいがいはほうっとしたように出てくる。
でもNさんの関係者の私たちは全然呼ばれない。
数時間してようやっと呼ばれ、弟さんが中に入る。
それから30分は待ったろうか。
控室に入ってきた弟さんは泣いていた。
Nさんがクモ膜下出血で倒れていたこと。
脳に血がいかなくなってから30分立っていたらしいこと。
これから24時間が山であること。
24時間先まで生きられない可能性が高いということ。
快復したとしても脳死は免れないだろうということ。
その場合は「決断」をしないといけないということ。
24時間。
24時間?
決断ってなんだ?
嘘だ、と思う。
Nさんがそんなことに。なるわけがないのだ。
大阪から駆けつけたご両親は
隣室で医師から長い長い説明を受けていた。
医師が最初にドアから出てきて3分後。
お父様ががらりとドアを開けて出てきて。涙を流さないまま嗚咽をこらえるように控え室を出ていき。
隣室からお母様の号泣が聞こえる。
ああ私はいったい。なにができるだろう。
祈るだけだ。
いまの私は祈るだけ。
まだ泣いてはいけないのに涙が止まらない。
でも私は。
友よ。
君の快復を信じている。