また雨。頭痛薬のお世話になる。
雨が降ると頭が痛くなるのはいまでもそうなのだが
小学生のころは始終頭痛がひどく、またチョコレートやピーナッツを食べると鼻血が出て止まらなかった。
つい昨日まで30年近く、これはてっきり鼻の粘膜が弱いのだと思って生きてきたのだが
そういう「アレルギー体質」、らしい。
というのを瀬尾まいこさんの小説「図書館の神様」で知った。
主人公の「私」こと中学校の講師が、なんと私とまったく同じ体質なのである。
もちろん瀬尾さんの小説の本筋はそんなところにないし
小説の主人公と同じ症状だからってそれがほんとうにアレルギーかどうかはわからないのだけれども、
あれはアレルギーだったんだよ、と思うとなんだかほっとした。
毎朝のように鼻血を出しては2時間も3時間も学校に遅れた私。
授業中に鼻血の感覚を鼻の奥に覚えてはそうっと上を向いていた私。
プールで飛び込みをしては水を赤く染めていた私。
体調管理ができないのは精神がなっていないからだ。
と新任の先生にいわれ、衝撃を受けた小5の私。
精神がなっていないのではなく、アレルギー体質だったんだ。
なーんだ。それなら仕方ないよね。とまあそんな感じである。やれやれ。
昼過ぎに打合せに出る夫とともに家を出て、私は所用で高円寺へ。
用事はすぐに終わったのとまとめて考えごとがしたかったので
ルネッサンスかネルケン(いずれも名曲喫茶)のどちらに行こうか瞬時迷った末、まだお腹が空いていなかったのでルネッサンスから攻めて、後、ネルケンへ移動することにする。
ルネッサンスは食べ物メニュがまったくなく、持込は可能。こういう名曲喫茶は多い。
ルネッサンスは私しかお客がいなかったので
しばらく聴いていなかったチャイコフスキーの6番とベートーヴェンのピアノ協奏曲5番をリクエストした。
ほんとうは1人1曲が原則なのだが、他に誰もいないので見逃してもらう。
ベートーヴェンの5番「皇帝」は今度コンサートで聴く曲なので予習を兼ねている。
(しかし帰宅後によくよく思い出したらコンサートで聞くのは「英雄」と4番だった)
チャイコフスキーはジャン・マルティノン指揮、ウィーン・フィル。
ベートーヴェンはバックハウスのピアノ。指揮とオケはわからない。
考えごとをしようと思っていたのに音楽に集中してしまった。いかんいかんと思っているうちに、あとから来た方のリクエスト曲がかかり、これがカート・ワイルの1番という、またまた考えごとに向かず、かつちょっと(だいぶ)苦手とする曲想だったのでルネッサンスを退散し、ネルケンへ向かう。
ネルケンではニールセンの交響曲1番がかかっていた。
デンマーク王立管弦楽団の演奏だそうだ。
私は音楽というのは作曲家と演奏家もしくは作曲家と指揮者が同一国の組み合わせで奏でてこそのものだと思うので、こういう組み合わせの幸運はとても好ましく思う。
もちろんオーケの構成員ひとりひとりがその国の出身者というのは厳しいが、少なくともその国に少なからず住んだことがあり、温度や質感や言葉や歴史的背景を知っている必要があると思う。
音の解釈というのはとてもたいせつだ。解釈をするうえでのそうした素養というものも。
ニールセンを聴きながら考えごと。
いくつか曲が変わったところでだいたいまとまったので、スーパーマーケットで食材を買ってから帰宅し、
ゲルギエフ指揮、キーロフオケ演奏、レーピン独奏のチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」とミャスコフスキーの同じくニ長調を聴く。これもまたとても好きなアルバムだ。
余談ながら(って全部余談ですが)、私は毎晩お風呂で本を読む。
先月からそこに音楽も加わった。
防滴のラジオ付CDプレイヤーを買ったので、お風呂場で聴いているのである。
ちなみにこれを買った目的はずばり「防災」である。だからラジオ付き。
さておき、お風呂で本を読みながら聴く音楽というのはなかなか選択が難しい。
ここのところずうっとサラ・ブライトマンの「CLASSICS」を入れっぱなしである。
今夜は夫はそとごはん。
自分のごはんは簡単に済ませ、筋クッをつくる。
下ごしらえも入れると、筋クッづくりは半日仕事なのだ。
さまざまな食材の灰汁をとったり、ことことぐつぐつと材料を煮る。
寒い夜、きっと小腹を空かせて帰ってくるだろう夫の胃袋のために。
朝ごはん。
トースト、ウインナー、目玉焼き、キャベツ。
トーストは夜に仕込んでおいた焼きたて。
昼ごはん。
ネルケンでチーズトーストとロイヤルミルクティ。
晩ごはん。
夫はそとで。
私は鮭の塩焼き、しじみ汁、キャベツ。
瀬尾まいこさんの「図書館の神様」を読了する。
瀬尾さんの本はどの本もほんとうに好きだ。出会えたことに感謝したくなる本。