昨日は友だちの家へお邪魔する。
今年はじめに新築の家に引っ越したばかりで、
まさに「新居」にお邪魔したわけなのだが
昨日の今日で急に会うことになったために「新居祝いに行く」というよりも
単に「遊びに行く」という風体。
お引っ越し祝いなどなにも用意できずにほぼ手ぶら状態で伺う。
駅から歩いてほんの数分の、明るい外観の素敵なお宅。
庭先には季節の花が植えてある。
いいなあ。一戸建てはやっぱり違うなあ。ああその扉の先はいったい何?
いまどきの新築物件の設備や仕様はどんなに素晴らしいの!?などと
「家好きの魂」がうずいたものの
(なにしろ昔やっていた仕事の一部は「住宅雑誌の編集」で、
そこに掲載するために、新築の一戸建て住宅にお邪魔して取材していたのだ)
いかんいかん、主眼が違う!と自らを戒める。
夏に産まれたばかりの赤ちゃんはもうその頃よりもぐんと大きくなって、
女らしくかわいく賢く成長してきていた。子どもの成長はとても早い。
友だちとじっくり話したのは10月か11月以来。
今回の主題はずばり「子育てと仕事」である。
詳細は割愛するが、私は実はこのテーマには非常に熱い、いや暑苦しい持論を持っているので
友だちは昨日私が送ったジャブ程度のメールにまずびっくりしたそうだ。
私と仕事をしたことがあるひと、や、
私が仕事をしているところをじっくり見たことがあるひと、は
どうもみな私のことを「仕事>その他すべて」と思っているきらいがあるのだが、
私は「いま目の前にあることに120%の力を注ぐ」タイプなのでそう見えるだけなのである。
だから「いまやるべきは○○」・・・その○○は年齢や時期やさまざまな要因によって変動するのだが、
それが仕事のときは仕事をするし、遊びのときは遊ぶし、思いっきり恋愛するし(あ、これはいつもか・・・)、
だから子育てのときは子育てをするのだ。迷いなく。
たぶん注いでいる力の大きさが大きい(あるいは大きく見える)のでそう見えるのだと思う。
とはいえもちろん、それだけ、をずっとしているわけではないし、
(だってそんなに仕事にがつがつしてたら死んじゃう)
気分にだってもちろんブレはある。人間だもの。
ちなみに
・子育ては「母親」がもっともたいせつにすべきいちばんの仕事である。
・いま目の前にある何かに全力で向かっているならば、それはすべて等価値である。
対象に価値があるわけではなく、行動に価値があるということ。
・いまやりたいことを優先すべきである。でもそれは人生が無計画ということではない。
なぜなら何歳でどうなっていたいというような人生設計というのはあらかじめしてあって(私の場合)、
それに照らした上での「いまやりたいこと」だから。ただしその「いまやりたいこと」が人生設計にプロットできないようなものの場合は、そのタイミングで「人生設計」のほうを見直し、場合によっては「人生設計」を修正する。
・保育のプロはあくまで「保育全般」のプロであって、ユニークな存在である「○○ちゃん(君)」のプロではない。
・子どもが一番「母親」を求めるのは1歳~3歳くらいまで。それ以降は「友だち」や「先生」なども必要で重要になってくる。
・俗にいう転職年齢は「35歳まで」であるが、それを超えた以上はもう36歳だろうと39歳だろうと一緒。
むしろ自分に付加価値をつけたうえでの40歳と、若さしか付加価値がない36歳だったら、40歳のほうが有利(であるような仕事をすべき)。
というようなことを話し合った。
帰宅後、夫に「ねえねえ、社長の立場から考えて、36歳と39歳の女性って採用対象者として差がある?」と聞いてみると、
「ない」とあっさり一刀両断された。
「36歳~43歳くらいまではほぼ一緒」、だそうですよ。
むしろそのひと個人にどんなちから(価値)があるかということ。
また正直言って、子どもが小さくて場合によっては仕事に影響が出てしまうかもしれない不安材料を抱える36歳よりも、そうではない43歳のほうが雇用したいとのことでした。ふうん。なるほど。
まあこのあたりは会社や組織によっても変わるとは思うけれども。
それにしても子どものパワーってすごい。
ほんの数時間、一緒に遊んでいただけなのに
腕は筋肉痛だし、昨日の夜は眠くて眠くて仕方がなかった。
やっぱり子育てってほんとうに大変だし、もちろん家事だってあるし。
たいせつな仕事です。生半可ではなできない。こころからそう思った一日であった。
友だちには私の悩みも聞いてもらう。
まあ私の悩みは解決のしようがない・・・ことなのだが、初めて自分以外のひとに話したことで
少しすっきりした。
ありがとう!会えてとてもうれしかったよ。
友だちと会うというのは素晴らしいことだと思いながら電車に乗る。
中野で打合せを済ませ、
お腹がすいたので夫と食事も済ませて帰宅。
帰宅後、友だちの家にあったかわいらしいシーサーに対抗して、
うちのかわいくないシーサーの写真を撮影してメールで送る。
私のいえのシーサーは、母が沖縄旅行に行った際に、わざわざどこぞの有名な工房に出向いて買ってきたという母自慢の逸品なのだが、いかんせん顔が怖いのである。
対して友だちのシーサーはすっごく愛らしい。
からだも全体にぽってりとしているし、なにしろ表情がいいのである。
うちのは顔もからだも精悍。というか怖い。友だちからはシーサー本来の目的には合っていると思うよというさすが賢い彼女ならではの返信をもらった。そうかあ。まあよしとするか、この顔でも。
朝ごはん。
夫は具沢山スープとごはん、
私はヨーグルト。
昼ごはん。
なし。
夜ごはん。
近所の鉄板焼きのお店へ。
シーフードもんじゃの餅抜き明太子トッピングと、この店の看板メニュ「黒豚の王様」という、
じゃがいもとにんにくが入って黒豚のバラ肉薄切りを敷いたもの、
いかげそのガーリックソテー、梅きゅうりをいただく。
いつも頼むメニュとほぼ変わらず。どれも堪能する。
小澤征爾さん、広中平祐さんの「やわらかな心をもつ」を読了する。名作。