実家で飼っている犬の岳(ガク)が癌になったという。

14歳なのでけっこうな年齢でもあり

また岳がかかった癌を治療できるどうぶつ病院は和歌山にしかないそうで

そこまで行く体力がもう岳にはないらしい。


そうか。と思う。

そうか。


岳は私が東京に出てきてから飼い始めた犬なので

冷たいようだがあまり思い入れはない。

実際365日のうち5日間(年末2日半、夏に2日半)の帰省のときにしか

岳を見ないのだから愛情の湧きようもない。


先代の凡(ボン)は小学校4年生から大学までともに過ごしたので当然、凡の死はかなしいものだったし

先々代のピユロは母が独身時代から飼っていて、つまり私が赤ちゃんのときから小学校3年までいたので

ピユロの死もなかなかなものだった。

先代2匹の死は確かなものだったが、どうも岳の場合はぴんと来ない。


岳はひとなつこい先代の凡(ボン)やとても賢かった先々代のピユロに比べると

孤高の犬、というかなんというか

ほとんど顔を見たことがない私なぞは完全によく知らない人扱いだったし(とはいえ他人でないのはわかるらしく吠えたりもされない)

また生まれてまもなくで母犬から引き離されたせいでちょっと知能が足りないというか

犬の基本的所作が身についていない犬だった。


いつも庭で遠い目をして佇み

雷が鳴ると過度に怯えてリビングのガラス戸を噛み千切り粉々にし

毎夕5時になると鳴り響く地域のチャイム音を犬の遠吠えと間違え一緒に吠え(しかも変な裏声で)

岳、と気まぐれに呼びかけるとおわんにのこった餌を横取りされないように慌てておわんに近寄り(おまえのご飯なんか食べるわけないだろ)

猫のミーと同じ座布団を共用しては庭先で一緒にまどろんでいた。


つまりそれなりに愛いやつではあるが

まあなんというか総合すると、岳が死にそうだときいても

それはそうか残念だと思うけれども

そんな岳の行状を見られないのかもうと思うけれども

悲しい、という気持ちはそこまで起こらず

残念だと思うのは

それは両親の愛犬であることに対して。

そう思うにとどまる。


しかしその事情を忘れているのかそれともそんな冷たい私を知らないのか

母は毎日のように岳が死にそうだとかいう電話やメールをしてきたり

死の床に瀕している岳がちょっと回復した写真、なんかを送ってきたりする。


ああお母さん。

分かるよ、お母さんがつらいのは分かる。

お父さんもつらいだろうね。

ひとりまたひとりと田舎の家を出て行く子どもたちの代わりといえば代わりが

岳とミー(猫)だったのだから。


岳はばかだなあといいながらわしわしと頭や背中を撫でさする父。

岳はばかなんかじゃないと本気で父に言い返す母。


そういう光景を帰省の度に何度も見た。

どちらも深い愛からくることばだ。


でも私には残念ながら死に行く岳をそこまで悼む愛情はないのだ。

とは言わないで。

そうかそうかかわいそうにとこたえる。


岳が死んでミーが死んだら

そうしたらもうふたりはなにもどうぶつは飼わないといっている。

しかし先代のミーが不慮の事故で亡くなったときも

まったく同じことをいっていた。

まああのころは父も母もまだ50代だったから。

これから新しいどうぶつを飼う、そういうパワーはきっともうないのだろう。

あのどこまでもちからいっぱいに愛情を求める仔犬のパワー。


せめて岳が苦しまずに

天に召されることを祈ろうと思う。両親のためにも。


昨日はフィギュアの女子SPを観戦。

浅田真央ちゃんの演技に涙。今季は本当に苦しんでいたから良かったと思う。

キムヨナちゃんはやっぱりすごかった。

美しすぎる。

それにしても民放の五輪中継は日本で有名な選手ばかり放送したりして腹が立つ。

ニュースとかワイドショーなら選り好みして当然だけど中継でしょ。

こんなのでは中継とはいわないのでは?

もっと全員の競技をちゃんと見せてくれないかしら。


フィギュア観戦のあとは急いで病院へ。

アレルゲンがついに特定。

すごくショッキングな結果。これは長くなるのでまた。


朝ごはん。

夫は筋クッ、紫蘇おにぎり。

私はヨーグルト。

ヨーグルトにはいつも干しぶどうを入れて食べます。


昼ごはん。

フィギュアを見ていて時間がなくスキップ。


夜ごはん。

肉野菜炒め、ペチュキムチ、筋クッ。

昨日から玄米ご飯にしている。


中山可穂さんの「マラケシュ心中」を読了する。

うーん。この作品はあまり好きではないな。