いい天気。

引越しをしてからいえにいる時間が増えた。

もともといえにいることのほうが好きなので

とてもうれしいと思う。


いっぽうで。

こまごましたことに時間をつかっていることが多いので

腰をすえてじっくりとりくみたいことが

あとまわしになっている。ところがあるように思う。


たとえば時間を要するような事務的な処理。

たとえばきたる仕事への準備。

たとえばじっくりと向き合いたい考えごと。など。


昨日やっと結婚通知兼転居通知のはがきができてきたので

まとめて宛名書きとひとことメッセージを添える。

1月に引越しすることじたいはほぼ決まっていたので

年賀状は出さずに転居通知と結婚通知とをあわせて代用することにしていたため

いただいていた年賀状を引っ張り出してきて

また結婚式に出てくださった親戚や親しい友人たちに向けて

ひたすら書きに書いてペンだこをつくる。


見て?ペンだこだよ。

と夫に見せにいくと、ほんまやといって笑う。


久しぶりに字を書くと、つまりペンで字を書くと

漢字を忘れていることと

字がきれいでないこととで

あああと思う。

もっときれいな字だったら筆でさらりと書けるのに!といつも思う。


子どもの頃。

たくさん習っていたお稽古ごとのひとつに

そろばんか習字を加えるか迷ってそろばんにした。

いや正しくは、迷わずにそろばんにした。

兄がそろばんを習っていたことと、親しい友だちがそろばんを習っていたこと、

筆で字を書く機会はおとなになってからそうそうないだろうけれども

そろばんはよく使うだろうと思ったこと、から。


小学校4年生のころだったように思う。

そんな頃から将来を見据えているあたりが笑える。

そうしてパソコンのようなものが

こんなに台頭するというか

あたりまえの世の中になるとは思わなかった。ちっとも。


そろばんは確かに習っておいてよかったと思う。

いまはすっかりと衰えてしまったけれども

10桁くらいの数字の暗算や4桁かける4桁くらいのかけざんたわりざんは暗算でできたから

(これは自慢でもなんでもなく数年ある程度そろばんを習っていればだれでもこういうことになるのだ)

計算に困ったことはない。

なんでもできないよりできるにこしたことはないだろう。

いまはパソコンや計算機があるとはいえ。それでも、だ。


でもおとなになったら筆でなにかを書く機会はそうそうない、

ということはまったくの誤りだったし、

なにより字を上手に書くことが書道の本質ではないというところも子どもだったから理解していなかったのだ。

字を上手に書けるというのはあくまで副産物なのだということ。


ふつうに書いて読めない字、ではないのだけれども

それでもすごくきれいにさらさらと毛筆をうごかすひとはあこがれる。

そのたたずまいも含めて。


朝ごはん。

夫はごはんとたまねぎの味噌汁。

私はベーコンエッグとトースト。ピーナッツクリームを塗る。ひさしぶりだ。


昼ごはん。

近所の中華料理へ。

開拓開拓、と出かけたのだが味はふつうだった。

これで新規開拓しようといっていた3軒の中華料理を制覇。

どこもふつう、である。


夜ごはん。

夫はフットサルだったのでひとりでいえごはん。

蒸したブロッコリーと蟹の殻で出汁をとった味噌汁。豆腐と長葱、えのき茸を具にする。


明日(というか今日)食べる予定の(したがってこれを書いているいまはもう胃袋のなかである)

鶏肉の仕込み。

手羽元を20個くらい買ってきたので

酒でやわらかくしたあとに塩胡椒をし、白だし、しょうゆ、おろしたにんにく、豆板醤、ごま油でつけこむ。

夫はこの鶏のからあげが大好物なので

仕込みをしているときから嬉しそうである。