おおかたの予想どおり

また眠れる日々がやってきた。


週末は、そんなわけで

久しぶりにぐうぐうと眠った。

1時くらいには眠って、起きたら9時、とか。

深くてゆるぎない眠りはやはりよいものだ。おだやかでゆったりとしていて。


土曜日は数年ぶりに大学の同級生と会い、

結婚のお祝いをしてもらう。

ひとりは名古屋から来てくれる。このためだけに!しかもふたりの子連れで!!

小さな子どもがいるのでランチ、ということにしていたから

「1500円のランチのために新幹線3席とっちゃった」と友だちは笑いながらいっている。

ううむ、確かに。すごくゴージャスなランチである。

友だちっていいなあ。


そういえば。

今度の連休に、結婚式の打ち合わせがあり

また恋人は法事があり数泊を京都ですることにしている。


これまた知らなかった!ことなのだが。

一般に、日本における佛教の法事は

初七日、四十九日、一周忌、のあとは

三回忌、七回忌、十三回忌・・・というように

頻度が減っていく。

また法要は故人にユニーク、というか、

たとえば祖父と祖母の法事を一緒におこなう、ことはない。ように思う。


しかし。

韓国の風習では、法要は年に1度。

しかも法要は「ある故人」のためではなく「先祖」のためにとりおこなう。

なかでも代表的な先祖(たとえばお父さんのお母さんとか)の命日の近辺を法要の日程としたら、その日に全先祖の法要をおこなうのだそうだ。


韓国の風習なのか恋人のいえの風習なのかは定かではないが

それってキリスト教と関係あるの?(恋人の家はプロテスタント)と聞くと、

宗教とは関係がなく、恋人一家でも信者は午前中に教会で礼拝をするが

それ以外は礼拝には行かない。

その日の午後に三々五々、その名も「偲ぶ会」に一族郎党が集まってきて

あとは飲めや飲めやの大宴会になるのだそうだ。朝まで。


そして男系社会の韓国では

もちろん飲めや飲めやは男性のみで

女性はひたすら接待係である。

私は飲めないので接待係はむしろ歓迎なのだが

在日の女性や、義姉さん、姉さんはみな「法事は大変だよ・・・」と半分、遠い目になっていう。

ドキドキ。


今年はお披露目前なので、私は参加しないのだが

(おかげで1日、京都でフリータイムである。やった)

来年からは法事デビューである。

楽しみなような、女性みんなを遠い目にさせる「法事」に不安なような。


江國香織さんの「ウエハースの椅子」を再読、

森見登美彦さんの「走れメロス 他四篇」

松本清張の「ゼロの焦点」

をそれぞれ読了する。


森見登美彦さんはやっぱり変態だなあ。(変な意味ではなく)

松本清張の本は相当読んでいたのだが何故か肝心の

「ゼロの焦点」と「点と線」は読んでいなくて

話題になっているのを機に読んでみることにしたものだ。

せつない物語である。