昨晩は友だちと食事。

最近のお気に入り、新富町の「潤菜 どうしん」へ行く。

繊細でこころを込めた野菜料理がいただけるこのお店、

前回、友だちが「行ってみよう!」と紹介してくれて初めて行き、

久しぶりにいい店に出会った、とばかりに

今回の会もどうしんに決定。


しかし。

今回のどうしんもとてもとてもおいしかったのだが

なぜだろう、先付けやら八寸やら凌ぎやらなにやらといただいたあとにきた

焼き物がわりの子持ち鮎の煮浸しをいただいたあたりから

急激にかなり満腹感いっぱいとなり

続く蒸し物や止め椀、ご飯ものなどはほうほうのてい、

さらに続く水物(しかもふた皿)は残念ながら全部食べることができなかった。

しっかりつくっていただいているのが分かっているから

残してしまうのは本当にこころぐるしい。

しかしおなかはもっとくるしい。


前回は耐え切れない!というほどの量ではなかったのに

どうしてだろう?鮎のたまごたちのせい?などと

前回も同伴の友人ともども話す。

きっと男性ならぺろり、なんだろうけれどもね。


実は前から、再来週もどうしんの予約を入れているので

お店のかたが心配そうに「少し量、減らしましょうか」といってくださったので

ぜひとも、とお願いをする。

次回の同伴も同じ年齢の女性だし、

せっかく手の込んだおいしいものをいただくのだから

残してしまうのはもったいないし

作り手のかたがたに申し訳なく、

また残しちゃった・・・というせつない気持ちを持ち帰るのはよろしくない。


さて。

昨日は友人たちに結婚式のご招待状を渡す。

今週は従妹と友人、来週も友人、そして伯父伯母夫婦・・・と行脚中である。

東京近郊にいらっしゃるみなさんには

すべて手渡し、というふうに決めているのだ。


友人たちにも素敵な招待状、とほめてもらって、

すっかりご機嫌である。


数多ある招待状サンプルのなかから、

京都らしく、またお渡しする時季の秋と、結婚式の時季の冬、両方の季節に見合い、

恋人も私も苦手な「キラキラ感」がゼロの代わりにシンプルで上質な雰囲気、という招待状を選んだのだった。

よもや自分たちでセッティングするとは思わず(お願いした会社がやってくれると思っていた)、

届いた招待状キット的なものをせっせと工作し、

さらにはお香の薫りをうつすという細工までほどこした(これは結果的に成功)。


ペアリングも出来てきて

(信じがたいことにがっつり系のプラチナ2本、ダイヤ入りのオリジナル、裏側の刻印入りで11万。

激安である。まだ見ていないが素材も質も一流の方なので心配はしていない)

いよいよいろいろなことが「済んで」いく感じだ。

ふつうは「向かって」いくというところなのかもしれないけれども。


友だちたちは偶然出張があったり

せっかくだからと有休をとって金曜日から京都入りする、といっていて

しかも私と同じホテルに泊まることにしたそうだ。

お茶などをする時間がとれれば嬉しいなと思う。

たとえ時間がなくても、親しい友だちがそこにいるというのは

とてもうれしいことだ。


浅田次郎さんの「プリズンホテル」4を読了。

これで全巻。

3がいちばん良かったな。