仕事柄、なのか立場の問題か。
それとも性質の故か。
追われている感、というのがひどい。
追われている感。
というとちょっと違うかもしれない。
追い詰められている、というような。
焦り。不安。その総称。
たとえば。
なにかしらのプレゼンテーションや作成した資料などの返信を待っているとき。
それがどんなちいさなものであってもおおきなものであっても。
たとえば。
メールの受信フォルダに着信の合図があるとき。
たとえば。
見積もりや請求金額を提示し、その回答のメールを開くとき。
同じような仕事をしていても
雇われているときはここまで感じたことがなかったのは
幸運だったというべきかお気楽だったというべきか。
プレゼンテーションがうまくいかなかったことはない。
多少の変更はあれど、たいていが導きだい方向にものごとを持っていけている。
見積もりや請求のトラブルも一度もない。
にもかかわらず。
いまのように仕事をするようになって2年近く。
完全に独立してからは半年足らずだが
この焦りは慣れるどころかひどくなるように思う。
ものすごくからだに悪いのではないか。
と最近よく思う。
こころを含めたからだ全般。
どんな仕事でも多かれ少なかれ
同じようなことはあるだろう。
でもこんなにいつも切羽詰った気持ちで向かい合っていたら
もたないんじゃないかなとも思う。
といいつつ。きっとなんだかんだと上手にコントロールしているところもあるのだろう。
そうでなければとっくにだめになっているはずだもの。
たぶんその、自己制御、のうちのひとつが
本を読むことだったり、恋人の存在だったりするのだろう。
私の場合。
金曜日の夜、久々にゴルフの打ちっぱなし。
電車の乗ってバスに乗ってと、けっこうに面倒な場所まで行ってきたのだが
住宅街のど真ん中!にあるのに、100Yは打ててしかも70席もあるので待ち時間もないし
とても快適だった。
なにしろ気持ちがいい。
最初の数打はあたらなくて、やっぱりだめだわ・・・としょぼくれそうになったものの
後ろの席の恋人が欠点を教えてくれて、修正したらちゃんと当たるようになり。
もちろん全然上手ではないのだけれども、がんがんと打ちっぱなすのは本当に快適。
いいね、またこようね、と恋人といいあう。
もうすこし練習して、10月くらいにはまたラウンドしたいものだ。
季節もちょうどいいし。
土曜日は恋人が2年ぶりにフットサルに出かけていったので
ひとり打ちをしようとゴルフに出かけたものの
手のひらの豆がつぶれていたくて打てない。
初心者でへたくそだから豆ができるに違いなく恥ずかしい限りなのだが
どうしようもないのでピッチングでグリーンに乗せる練習、というのだけ繰り返して帰宅。ふう。
日曜日は銭湯へ。
携帯をわざといえに忘れていったおかげで
メールのチェックをしなくてすみ(PCのメールを携帯で見られるようにしているのだ)、
もしやこれがもっとも健康的なのでは、とやはり思ったりする。
夜は恋人のリクエストでお好み焼きを食べに行き、
家では気分転換にパンを焼く。
さて今日からまた一週間。
10月まで怒涛の日々のはじまりです。
井上荒野さんの「ベーコン」を読了する。