母から電話があり、祖母が危篤だから帰ってきてほしいという。
危篤。
危篤なら何をさておいてでも、
何処からでも、祖母がいる介護施設に向かうだろう。
たとえ打ち合わせがある土曜日でも、なんでも。
しかし。母のその口調から、これは本当の危篤、ではなくて
いつもの危篤だと類推し、
ひとまず電話を切り。
暫くしてから父に・・・ひとりのときに電話くださいとメールを入れて待つ。
30分後に父から電話があり、
やはり本当の危篤ではなく「いつもの危篤」だから、すぐに来なくても大丈夫と父はいい。
こういうときはおとこのひとのほうがよほど冷静だし、
だから父のことばを信じて、電話を切る。
祖母の危篤。
現在92歳で、もはや寝返りすら自分では打てず、
子どもも孫もわからなくなって10年近くになる祖母は、
年に3回は最低でも危篤になる。
もちろん医学的にではなく、
娘であるところの母が
焦ったり嘆いたり身を揉んだりした結果だ。
最初は私も焦ったものだが、
(それはそうだろう、何しろ祖母が危篤、なら)
いまはまず思う。
今回はどちらだろう。
いつもの、あるいは本当の。
最近では知恵をつけて、
まずは父の意見を拝聴する。
父が大丈夫といえば大丈夫だし、
危ないといえばそのときは、すべてを擲ち駆けつけよう。そんなふうに。
さてそんなわけで、
私の日曜日はいつもの日曜日になった。
結構なことだ。
たまりにたまった疲れを解消すべく行ったマッサージの揉み返しがある以外は。
来週のプレゼンテーションに向けて、
しかしこころがなかなか落ち着かない。
眠っているとき以外は。
先日など、あたまの半分が白髪になった夢を見て、
ストレスフル?なんて思ったりした。
突然の雨。
駅の壁に燕の巣があって、通る度に燕の家族を眺めるのが楽しい。
あまりにじいっと見ていたら、街の警備のおじさんがやってきて、
燕の巣、珍しいでしょう。
丸井のビルがある頃はあっちにもあったんだけどねぇ、
いまはここだけなんだよ
とにこにこ教えてくれた。
親鳥の餌の時間はそれはそれはかまびすしい子どもたちも、
雨の昼下がりはじいっとしている。
ちいさな巣の、隣には親鳥。
いつもの、忙しいだけの駅の、それが私の最近の愉しみ。
危篤。
危篤なら何をさておいてでも、
何処からでも、祖母がいる介護施設に向かうだろう。
たとえ打ち合わせがある土曜日でも、なんでも。
しかし。母のその口調から、これは本当の危篤、ではなくて
いつもの危篤だと類推し、
ひとまず電話を切り。
暫くしてから父に・・・ひとりのときに電話くださいとメールを入れて待つ。
30分後に父から電話があり、
やはり本当の危篤ではなく「いつもの危篤」だから、すぐに来なくても大丈夫と父はいい。
こういうときはおとこのひとのほうがよほど冷静だし、
だから父のことばを信じて、電話を切る。
祖母の危篤。
現在92歳で、もはや寝返りすら自分では打てず、
子どもも孫もわからなくなって10年近くになる祖母は、
年に3回は最低でも危篤になる。
もちろん医学的にではなく、
娘であるところの母が
焦ったり嘆いたり身を揉んだりした結果だ。
最初は私も焦ったものだが、
(それはそうだろう、何しろ祖母が危篤、なら)
いまはまず思う。
今回はどちらだろう。
いつもの、あるいは本当の。
最近では知恵をつけて、
まずは父の意見を拝聴する。
父が大丈夫といえば大丈夫だし、
危ないといえばそのときは、すべてを擲ち駆けつけよう。そんなふうに。
さてそんなわけで、
私の日曜日はいつもの日曜日になった。
結構なことだ。
たまりにたまった疲れを解消すべく行ったマッサージの揉み返しがある以外は。
来週のプレゼンテーションに向けて、
しかしこころがなかなか落ち着かない。
眠っているとき以外は。
先日など、あたまの半分が白髪になった夢を見て、
ストレスフル?なんて思ったりした。
突然の雨。
駅の壁に燕の巣があって、通る度に燕の家族を眺めるのが楽しい。
あまりにじいっと見ていたら、街の警備のおじさんがやってきて、
燕の巣、珍しいでしょう。
丸井のビルがある頃はあっちにもあったんだけどねぇ、
いまはここだけなんだよ
とにこにこ教えてくれた。
親鳥の餌の時間はそれはそれはかまびすしい子どもたちも、
雨の昼下がりはじいっとしている。
ちいさな巣の、隣には親鳥。
いつもの、忙しいだけの駅の、それが私の最近の愉しみ。