考えなくてはならなことがいっぱいで(仕事)、

こんなときにはあまり頭を使わずに読めるものがいいので

再読ブームもあり、ここのところずうっと江國香織さんの初期のころの作品を再読している。

「こうばしい日々」「きらきらひかる」「ぬるい眠り」「つめたい夜に」など。


江國さんの作品はとても好きだ。

作品に出てくるひとたちも、いいなあと思うことが多い。

私とはぜんぜん違う。ぜんぜん。

そうっとほほえむのが似合う、そんな感じ。


ところでそんな江國さん再読ブームのなかで

たまたま日曜日のコンビニエンスストアで、紡木たくさんの「ホットロード 全編」という一冊の漫画本を見つけたので買ってみた。


私は紡木たくさんの漫画をちゃんと読んだことがない。

中学校のころ、とても流行っていたように思う。

教室で女子たちが貸し借りしていたし、卒業文集の愛読書のようなものに「ホットロード」と書いているひともずいぶんいた。


当時、仲の良かった友だちから同じ紡木たくさんの「瞬きもせず」という漫画は借りて

授業中にこっそり読んだことはあるのだけれども

「ホットロード」は読んでいなくて、いったいどういう本なのかな?と思ってもいた。


「ホットロード」。

最初はてっきり、「暴走族の少年と、それにあこがれる少女の日々」だけを描いたものだと思っていたのだが

(だって表紙に、春山と和希が駆け抜けた日々」とか書いてあったし)

実際にはそれだけではなくて、

親子とかいのちの尊さとか、そういうことをきちんと描いた作品だった。


たぶん私が中学校のころに「ホットロード」を愛読書として書いていたひとたちは

年代的にそういうところには感銘を受けていないとは思うのだけれども

いま「親」や「先生」の年齢になってみると、

駆け抜ける少年や少女たちや、親に愛されていないがための(と本人は思っている)淋しさをうまく表現できずにいる彼らのこころよりも、

自分の行動に責任を持てという教師や、うまくたちまわれない親や、

格好悪くても生きたいと願うこころや、

いのちは失ってからでは遅いのだと、テーゼのように繰り返されるところに共感を憶える。


これもまた年齢をとったということだろう。


隣で末弟が、最近、おなかに脂肪がつくんだよ、ほら?といって

おなかをつまんでいる。

昔はこんなに脂肪なんてつかなかったのになんでだろう?というので

それってトシってことではないのといったら

そうかーと納得をしている。


そう、これもまた年齢をとったということなのだ。