基本的に再読はしない。
(村上春樹以外)
というのが、私の読書におけるスタイルだ。
スタイル。スタンス、ではなくて、あくまで気がつけばそんな感じ、というような。
もちろんたまにはもはや書庫と読んでもいいような
自宅の仕事部屋の書棚からなんとはなしに昔読んだ本を引っ張り出したり、
あるいは中学校や高校のころに読んだ名作、的なものを
意図的に読んでみたり。
そういうことはあるのだけれども、
もっと意志的に、よし読むぞ!といって以前読んだ本を読むことはない。
のだけれども。
最近、よしもとばななさんの本を再読する、のが流行っている。
きっかけは、きまぐれ。
なんとなく書棚の奥からひっぱりだして、読み、読み終わり、
ふうん、そうか。と思い。
もう一冊をだしてきて、読み、読み終わり、
ふうん、ふうん、そうか。とまた思い。
気がつけば、エッセイ以外のほとんどすべての過去の本を
いまいちどそろそろほとんど一気に読んでみてしまった、という状態になった。
そうしてあらためて思ったのは、歯に衣を着せずにいうと、
作家も成長するのだということと、
一定レベルの本を世の中に出し続けることの重さと、
さらにその作家のテーマ性、ということだろうか。
作家も成長する。
あたりまえだけど(そしてえらそうだけど)、
本当にそう思う。
使うモチーフも変わるし、たとえば初期のころの作品だとどうしても甘くなりがちなことが
だんだんと地に足ついてくるというか、想像ではなく体験として、知ったんだろうな、と思えることが増えてくる。
もしかしたらあくまで想像かもしれないのだけれども、それを体験として読ませるくらいのちから。というべきか。
わかいころにはわかいころのよさがもちろんあるのだけれども、
そんなふうに思う。
そうして作家さんはきっと自分の作品をずっと知っているから、
だからよしもとさんは「とかげ」をもう一度書いたりしたんだろうな。
そういえばよしもとさんの作品は
すべての作品で「夢」が出てくる。夜見るほうの夢。
そんなことにもはじめて気がついた。
今回の再読体験は結構おもしろかったので、
これまでずうっと本が出るたびに買ってきた作家さんの
過去作品一気読み、というのは
意識的にやってみようと思う。
今日もいい天気。
(でも自宅の窓は相変わらず外から目張り中・・・)