昼過ぎ、新横浜で打ち合わせ。
を終えて、新幹線で東京に向かうときのこと。
弱視らしく、白杖をついている男性が、
東京行き方面のホームから下りてくるエスカレーターに昇ろうとして往生しているところを見かけた。
恥ずかしい話だが、
私は弱視や盲人の方の誘導、というのだろうか、
そういうことをしたことがない。
街で目の悪いひとを見かけても、
声をかけたらかえって嫌な気持ちになるのだろうかとか、
どうやって手を添えたらいいのかわからないとか、
そういうことが先行してしまって、
いつだって二の足を踏む。
実際そんなに「困った」風情の様子に出くわしていないせいもあっただろう。
でも見てみぬふりを一度だってしなかったとはいえない。
電車の中で年配の方に席を譲ることは気軽にできても
どうしてか、目が悪いひとの腕を取ることができないでいた。
そうして今日。
ちょっと先に、明らかに困っているひとがいて、
ほんの束の間、やはり逡巡はしたのだけれども。
思い切って、大丈夫ですか?どちらに行くのですか?と声をかけてみた。
広島行きの新幹線に乗りたいねんけど、すみません。
関西のイントネーションの男性はそういうので、
左側の腕に手をかけて、では案内しますね、とこたえる。
私は東京に戻るのだけれども、そこまで急いでいるわけではないし、
しかも放置してしまったらまた東京行きのホームにだって行きかねない。
ちょっと先にある、西へ下るホームまで案内し、
あと100メートルくらいで自由席ですよ、とか、
目の前に柱がありますのでちょっと右側を歩きましょうとか、
そういう誘導?のようなことをして、
もしホームにお土産屋さんがあるなら、帰省用の手土産を買いたいので選んでほしい、というリクエストに応え、
キオスクに売っていた横浜名物というお菓子を選び(なにがええんやろ、まいったなあ、東京バナナ?それは横浜ちゃうしなあ、と男性は真剣に悩んでいた)、
そうこうするうちに入線してきた広島行きののぞみの自由席に慌てて案内し、
男性はほんまおおきに!と大きな声でいって、
何度も頭をさげ、かえって恐縮するなあと思いながら、
そうして私は違うホームの東京行きののぞみに乗る。
終えてみるとすごく簡単なことだった。
こんなことなら、もっと早く、いろいろなひとの腕をとるべきだった。
たとえ9人に、いえその必要はないですよとことわられたとしても
たった1人がこんなふうに喜んでくれるなら、アリだなあ、と、
シンプルに思う。
そんなの当たり前じゃない、と思う方々は多いだろう。
でも今日のことを、私は敢えて書いておこう。
広島行きの自由席はとても混んでいたように見えた。
座れたかな?そのことが少し。気にかかる。
松本清張の短編集「火と汐」を読了、
よしもとばななさんの「アルゼンチンババア」を再読する。