事務所のそばにちいさな喫茶店があるのだが

そこはオバアチャン、というような年齢の女性がひとりで切り盛りしている。

食事はおいしいし適度に放っておいてくれるところが気に入っていて

ときどきお邪魔する。


きちんとした年齢を知らずに

母よりは明らかに年上そうだから、おそらく70歳くらいだろうなと

検討をつけていたところ

今日、72歳だということがわかった。


72歳。

その年齢で、毎日朝8時から、週に1日だけ休むだけで

仕事をしているのだ。

すごいなあと思う。すごい。


どうして年齢がわかったかというと。

はじめて来店した、と思われる初老の男性と

マダムが話をしていて、

「あなた何年(ナニドシ)?アタシのほうが年上だと思うけど」

「牛です」

「あらやだ、同級生じゃない!?年女よ、アタシも」なんていうところから発覚したのであった。

60歳ではないことも、84歳ではないことも、ふたりが直前に

「戦争中は小学生だった」といいあっていたことからわかった。


「同級生」ということがわかったせいか

マダムと男性はひとしきり昔話をはじめ。


空襲で、このあたりはどこまで焼けたの?

シチズンあたりまで焼けたのよ。そこから先は平気。だからあそこから先にはまだ少し、旧い家が残ってんのよ。


そんなことを話をしていて

ちいさな喫茶店のことだから

私まで途中から会話に加わらせていただくようなかたちになる。


埼玉や千葉のほうに着物を持って野菜を買いに行ったこと。

セーラー服に憧れて、池袋の女学校に通ったこと。

その頃はまだ、女学校に通うのはクラスで3人だけだったこと。

1級上の立教に、すごい野球選手がいて、それが長嶋さん。

ちょっとしたらまたすごいのが今度は早稲田に出てきて、それが王さん。


そんなようなことを話して笑いあっていて。

私はふうん、ふうん、といいながら話を聞く。

いまのわかいひとには信じられないでしょう、ねえ。なんて

ふたりはいいあっていて。


そうして私は、ふたりのこんな会話に。

とてもはっとすることになる。


「でもさあ、こんな時代になっちゃったけど、アタシは全然こわくないの!

だってあのころ、みんなお芋だけしか食べられなかったじゃない?あのころに比べたら、ねえ」

「本当だよねえ。芋食べてたねえ。食べられない日だってあったしねえ」


そう。

そういう世代なのだ。

すっかり忘れていたけれども。

そういう時代に生きてきて。生き残ってきたひとたちなのだ。


そういえば戦争が終わったとしに

ちょうどうまれた両親だって。

子どもの頃はろくに食べ物がなかったと言っていた。


ときに忘れてしまう。

そういうことを。


毎日食べものが食べられること。

それが当たり前になっている。それがどんなにしあわせであるか。

そのことを思う。