今日もプチ出張。

また新しいおおきなお仕事をいただいてくる。

しかも今度はサイト制作ではなく、編集系の仕事。昔取った杵柄というかなんというか。

自分ひとりでは到底無理なので、

これまた昔取ったおおきな杵柄である「ひと」にご登場いただくことにする。


仕事をつづけていて思うのは

自分の技量・・・つまり、自分ひとりで完結することともそうだが、

それ以上に、一緒に仕事をしたひと、仕事をとおして知りえたひと、

というのが、いかに大事かということだ。


ひとりでできることは限られている。

どんな分野でもできることよりもできないことのほうが多い。

でも自分ではできなくても、できるひとを知っていたら?

それも過去に一緒に仕事をしたことがあるなら余計。ひととなりもわかっている。


そんなことをこのごろよく思う。


さて出張の往復で、本を2冊ほど読了する。


一冊は、昨日の読みかけ。

森絵都さんの「屋久島ジュウソウ」。

もう一冊は、

よしもとばななさんの「ひとかげ」。


屋久島。

屋久島はいまでも記憶に深い場所のひとつで

いつかまた行けたら、と思っている筆頭である。

どれくらい筆頭であるかというと西表島と同じくらい。


しかも!

私が行ったのは冬で、珍しく(とガイドさんは言った)雪が降っていたため、

登山口まで車が上がることができず、登山ができなかったのだ。

だから縄文杉もウィルソン杉も見ていない。


でもそれでも。

公園にあるおおきなおおきな杉(弥生杉という名前がついていた気がする)を見ているだけで

私は十分しあわせだった。

大きく深いものに抱かれているということを深く深く実感したのは、

ダイビングをしているときを除けば

西表島のジャングルと屋久島の杉木立のなかでだけだったのだ。


したがって縄文杉を見たいな!というわけでもなく

もういちど、屋久島に行きたい。のである。

もちろん、機が会えば縄文杉だって見たいですけどね。


そんなわけで森さんの「屋久島ジュウソウ」は、

森さんの本来の意図とは違うところで十分に楽しめたし、

ああやっぱり私は屋久島に行きたいんだなと再度認識することができた。


そうして「屋久島ジュウソウ」には、slight sight‐seeing という旅エッセイが載っているのだが、

ああやっぱり私は旅が好きなんだなということも深く認識することができた。

いまは旅に関する憧憬を、切ないほどの焦がれる思いを、封じ込めている。

だから余計にそう思う。


そうして「ひとかげ」。

よしもとさんは、本が出たらどんな中身でも買うようにしている作家さんなので、

(ただし文庫。私は単行本は買わない主義なのです)

「ひとかげ」も、だからどんな本なのかな?とも思わずに買って、読み始めて。


ああ、と思った。


これは「とかげ」のリメイク、うーん、リメイクでもないのかな。

「とかげ」が出たのが1996年、それから10年ほどだって、書き直したくなったから書き直した、

という本だったのだ。


私はよしもとさんの初期のころの本も好きだし、

いまの本も好きだ。


そうだな、でも「とかげ」は、今回の「ひとかげ」のほうが

もっと好きだなと思う。


書き直したといっても、変わっていない部分ももちろんあるのだが、

なんていうんだろう。


「ひとかげ」のほうが、よりリアルに、伝わってくる感じがした。

「ひとかげ」の後ろには、「とかげ」が入っていて、

だから両方比べて読むことができたのだが、

両方とも今日、2回ずつ読んで、

やっぱり私は「ひとかげ」にシンパシィをおぼえる。


それは私が成長したからなのか、

それともよしもとさんが作家としてより進化しているからなのか(生意気な表現にとられたら申し訳ないけど、それ以外の言葉が浮かばない)、

おそらくはその両方なんだろうと思う。


こんなふうに自分の書いた昔の作品を

堂々と見つめなおせるってすごいなあと思う。

誰にでもできるようでいて出来ないのではないかと思う。

だってそんなことをして、前より駄作になったら?

たとえ駄作になったとしてもやろう!と思ったよしもとさんはすごいなあと。

思うのだった。


そうして私も。

自分のしてきたことを・・・

それは仕事も仕事以外も、だけど、

きちんと見直して、必要があれば手直しをしよう。

手直しができるんだ。

そんなこともまた、思うのだ。