プチ出張。

キャストを替えて入れ替わり立ち替わり、
5時間近くの打ち合わせを終了。

駅まで車で送ってもらい、一時間に一本もない快速に飛び乗る。
これをはずすと延々と各駅停車または一時間待ちである。

今日は運がいい。

倉本さんの「北の人名録」を読む。
希代の脚本家だけあってぐいぐい引き込む文章はさすが。
どんなに回り道しても必ず意図した着地点に戻る。さすが。

倉本さんのこのエッセイは、彼が富良野に移り住んで数年後の記録で、
(北の国からの本編を撮りはじめる前後くらい)だから、日々の驚きや人間模様などがはっとするくらい鮮やかだ。
鮮やかに書いているというより、鮮やかに感じていてそのままそれを伝えてくれようとしている感じ。

大学以来の再読だが、
当時は感じなかった、心に沁みることがたくさんある。

歳を重ねるっていいなぁと思うのはこういうときだ。
たとえばこんなくだり。

今都会ではあらゆることが人に頼むことで要求を充たされる。一寸した困難、わずらわしさの度に我々は誰かに解決を依頼する。夫々の分野の専門家がいてつまらぬことにもすぐ来てくれる。そしてそのことに金を支払う。都会は依頼の構造でできている。それは確かに便利なことである。しかしその便利さは一方に於いて創造の喜びから人を隔てている。創造のない世界は人を貧しくする。

確かにそうだなという思いは、
都会生活にどっしり浸かっているいまのほうがわかる。
そうしてその功罪も。

それにしたって倉本さんの愉しさが、
このエッセイにはたっぷり溢れている。

憧れだった冬眠を実行する。
雌の飼い犬に積年の憧れ、山口百恵さんの名をつける。
(しかも百恵だと生々しいから山口という名前。)

その山口のお婿さんに、三浦さんというひとが飼っている雄を紹介され、しかも山口百恵さんが結婚するまったく同年同月同日に、見合わせようとする。

なんて愉快でチャーミングなひとだろう。

そんなことを思いながら
また東京に戻ってくる。
東京はひとが多く。どこもかしこも塗り固められて地面がない。