急にあたたかくなったおかげで
梅がいっきにほころんだ。
どころか。
裏のいえの梅はもう満開。
そうして今日、また寒くなりこれからしばらくは寒いらしいので
今年の梅は長く楽しめる。ということなのではないかと期待している。
以前住んでいた大森の家の庭を思い出す。
そのときはアパートの1階に住んでいて
大家さんが丹精した庭があり
一年中、花木やら植木鉢やらの花が耐えなかった。
前の庭には枝垂れ梅と紅梅があり
裏の庭には立派な桜の木があった。
きっとあの庭の梅ももはや咲いているにちがいなく
大家さんはいまでも季節のお便りをくださるのだが
次のはがきには梅が早く咲き誇ったことが書いてあるに違いない。
あまりにも耐えられないので
結局、病院へ行く。
花粉。根性なしだといわれてももう無理なのである。
朝から(正確には目がさめてきはじめたころから)目がかゆく
眠っているあいだにずうっと目をかいてしまうので目は腫れ
くしゃみが出続け鼻水も出続けしたがってティッシュペーパーが手放せず
鼻のかみすぎで鼻の下が赤くこすれる。
花粉症の症状が出たらいつも同じ、銀座にある病院へ行っていて
花粉症が再発したのが30歳のころだから、もう5年以上のおつきあいだ。
センセイ・・・とひとこというだけで、
「(花粉)飛んできたでしょう」といって注射と薬を処方。
ここの注射は抗生物質などは入っていないので安心できる。
待合室は花粉症と思しき患者さんでいっぱいだ。
みんな苦しんでいるんだなあ。
そういえば今日、打ち合わせをした先の事務の女性は、
一昨年から花粉症が治ったんだそうだ。
やはり花粉症って、治るんだよね。
母が唱えている「花粉の壺」説はやはり合っているのではないかと思う。
いわく、「花粉の壺」にいっぱいになったら、花粉症は治る、というもの。
母も10年で花粉症が治ったし、私も10年で治った。
ただし私の場合は、それからさらに10年後に杉の花粉症にかかってしまったのだけれども。
小川洋子さんの「アンネ・フランクの記憶」、
絲山秋子さんの「沖で待つ」
を読了する。
「沖で待つ」は芥川賞を受賞した短編作品らしい。
すごくしんとしたいい作品だった。
絲山さんの作品は(前も書いたけれども)とても好きだと思えるものと、
そうでもないものにはっきりとわかれる。
「沖で待つ」はすごく好きな小説だった。
「俺は沖で待つ
小さな船でおまえがやって来るのを
俺は大船だ
なにも怖ろしくないぞ」
ああ。生きるというのはかくももろく
そうして素晴らしいものなのだ。