病院へ。
母と面会。
記憶が少しずつ戻ってきていて、
前頭葉のもやもやはいまはだいぶすっきりととれたといっていて
しかも話しているうちにみるみると回復をしてくるようで
やはり駆けつけてよかったなと思う。
たださすがに疲れているようだったこともあり
数時間話をして足りなそうなものを買い足したりしてから引き上げる。
命にはまったく別状がなさそうだし
再発率も極めて低いらしい。
それにしても脳って不思議だ。
弟も小学生のころ、こちらは外傷性で半日くらい記憶がなくなったことがあり
ただそれはわからなくもない話ではあるのだが。
どこも頭を打ち付けていないのにこんなことがあるんだなあということ
そうしてやはりいつなんどきなにが待ち受けているかわからないのだ。
きちんといまを生きるということ。
それとは別にいざというときの備えをしておくということ。
その両方が大切なんだと痛感する。
と私が思ったことを母もいっていて、
父も川崎から駆けつけてきてくれた伯母(母の姉)もまた私も
形や進度は別だが全員癌で入院した経験を持っているので
「本当にそのとおりだよね」と4人強くうなずきあう。
それにしても
車を運転しているときとか、料理をしているとき、などではなくてよかったと思う。
だって車を運転しているときに、突然記憶が飛んでそれが原因でパニックになったりしたら
それこそ本当に危ないだろう。
だがこと母がなった病気については前兆とか原因がないもののようなので
防ぎようがないといえば防ぎようがないのだが。ううむ。
ただ「そんな病気が世の中にはあるんだな」と知っておくことはとても大切なことだろう。
恋人に母がかなり回復してきているよと電話をすると
まるであなたの親ですか?くらいな手放しの喜びようで
このひとは本当にあたたかいやさしいひとなのだなと思う。
なんか喜んでたよ、しかも昨日は携帯電話を肌身離さず持ち歩いてたし、と伝えたら、
やっぱりKさんはすばらしいひとだね、と両親。
父と母は恋人に会ったことがあるのだが
前からすごく高評価で(だいたい私の恋人を手放しで褒めてくれたのはいまの恋人だけである)
母はあんなにやさしいひとはいないよというし
父はKさんは本当に前向きな考え方をするひとだ、ああいうひとならどんな局面でもやっていけるし安心して任せていけると思う、なんでそれがわかったかというと、ナオが入院したときにKさんと話をしたら、これこれこんなことをいっていた、あのときにお父さんはああこの人なら安心だと思ったなどというし
また両親ともに恋人と初対面だったとき(私が手術中の病院のなか)で、
お互いに「あ、あれがナオの彼氏だ」「あ、あれがご両親だ」とわかったとかいう、
両親お気に入りのエピソードを持ち出してスピリチュアルモードに入っているし、
いや別に恋人と私のことを話しに参集したわけではないのに。なんてことを思ったりもするが
そんなふうに両親がほめてくれるのもうれしく
また母は肉体的に、父は精神的に元気になってきてくれたのもうれしい。
よかった。ほんとうに回復してきてくれてよかった。
そうして私は両親が話す恋人の話をききながら
ああやっぱり一刻も早く恋人に会いたい、と思うのだ。