プチ出張。

仕事休みの日ではあるが、

どうしても会いたい、という

まるで恋人どうしのような携帯直電話だったので

休み返上で打ち合わせをしにいく。

携帯に直接かけてくることは余程のことがない限りしないひとだし

ましてや休日とわかっている日に打ち合わせを設定するような乱暴なことはほとんどしないひとだ。

余程のことかと思ったが

実際余程のことでもあったが

会って話をして解決できた部分はできたし

みんなでこうこうこうやっていこうという道筋は見えたのでよかったと思う。


すっきりとして、いま東京へ戻っている車中だ。

きれいな夕焼け。


昨晩は恋人ともつ鍋を食べる。

恋人も私も共通のことでちょっとつらい、いやな思いを抱えていたので

今日は食べに行こうよ!あったかいもの食べようよ!!と出かける。


そうして私が思っていた以上に、

そのことで恋人は傷ついていて、

ただし恋人のことだから、

傷つくといっても、暗くなったり、悪口をいったり、さきぼそるという方向ではなく、

違うかたちでそれが露呈していて

私はそんな恋人を見ていて、話をしていて、とてもつらい気持ちだったし

恋人のことをそういうふうにさせたそのひとのことをさらに嫌だなあと思った。


誰かのことを嫌だなあと思うのは好きじゃない。

でもやっぱり、そのひとはひととしてしてはいけないことをしたんだ、

しかもこれほどまでに!

恋人のことを庇うまでもなく

明らかにひととしておかしいことを何度もされたという事件だったのだ、それは。

と思う。私は。


恋人は「ものはとらえよう」というか、

あらゆる現象は、すべて自分の「解釈」である、といっていて、

だから今回のことも、悪くとらえようと思えば悪くなってしまうけれども

神様が与えたひとつの試練、だと思おうと何度もいっている。


その考え方を私はとても好きだと思うのだけれども

ただし実際問題、やはり受けなくてもいい打撃ではあったと思う。

まあこんなことをいうのも今日だけにしよう。


それにしても経営者というのは大変なことだ。

私は絶対に無理だな、経営者なんて。


私の父もちいさいながらもずっと経営者なのだが、

やはり同じような悩みを何度も何度も抱えていて

ときにもう大きくなった子どもたちに冗談交じりに経営者の悩み、を

教えてくれることもあったのだが

同じくちいさいながらも経営者である恋人のことをつぶさにみていると

もう見ているだけで胃が痛くなりそうなことが本当に次々と起こるのだ。


でもだからこそ、先のような

あらゆる現象は~というような精神性がないと

やっていけないのだろう。


なんて書いていたらあとすこしで東京駅だ。

今日は最寄り駅で恋人と待ち合わせをしている。

スーパーマーケットで買い物をして、恋人の好きな食材をたくさん買って、

深刻にならない映画かなにかのDVDを借りて、

あたたかい家に帰ろう。ふたりで帰ろう。


もうすぐ東京だ。