「キリストは白人だったと思いますか?」
恐る恐る投げかけてみた。男ははじめて顔をあげ、少年の方を向いた。
(中略)
「なんでそんなことを訊く?」
男が呟いた。
(中略)
「だって、そう思ったら、質問をしたくなったんだもの。なんでって言われてもわからないよ。知りたいから。でも、ちゃんと答えてくれた人はいない。」
少年は口早に説明した。男は頬杖をつき、
「キリストはそんなことを気にするような人だったとは思えないけど。」
と告げた。少年はモヤモヤとしていたものが不意に消えてなくなるのを覚えた。
「そんなことはどうでもよかったのじゃないか。キリストが皮膚の色を気にしたとは思えない。ぼくだって、そんなことはどうでもいいように思う。」
これは辻仁成の「隠しきれないもの」に出てくる一節である。
キリストの皮膚の色について。
それをここで議論するつもりはまったくないのだが。
なぜならば私は無神論ではないが宗教を持っていないし持つつもりもさらさらなく
歴史を講じるほど知識があるわけでもない。
ただ。
私がいいなと思ったのは、この物語に登場する「男」の意識である。
キリストが皮膚の色を気にしたとは思えない。
そして、
ぼくだって、そんなことはどうでもいい。
その意識。
すべてのひとがこういう気持ちを持っていたならば
争いなどこの世に必要ないだろう。
皮膚の色というのはひとつの抽象だ。
それもそれ以外もすべてのものものについて。
種明かしをしてしまうと
この「男」は神父さんでありつまらない「争い」に巻き込まれ命を落とす。
その物語に共感は憶えたくはないが
今日感じたこの意識を
私はたいせつにしたいと思う。