風邪らしく、喉が痛い。

ここのところどうも喉が弱まっているようで

風邪はたいてい喉からやってくる。

前はそもそも風邪を引くことすらなかったのだが

それでも引いてしまった!というとこは

どかんと熱が出た(数年に一度くらいですが)。

いまは喉が痛いなあという状態がしばらくつづく、という状態が多い。


ここのところどうも空気がぴりぴりとしている気がして

気持ちが悪い。

喉が痛い、というようなことではなく

もっとなんていうか、目に見えないぴりぴりだ。


ぴりぴりがつながってへんなふうに連鎖して

空をおおっている


そんなふうに思える。


ああ早く。

そんな空気はどこかへ行ってしまえばいい。

台風がすべてを吹き流してしまうように。


昨日、漫画喫茶へ行き(すみません;なんとなく謝りたくなるのはなぜ?)、

椎名軽穂さんの「君に届け」の最新刊を読んだら、


「恋愛はどちらかが”付き合ってもらっている”という意識を持っていてはいけない、

意識は対等でなくてはいけない」

というようなことが書いてあって、なるほどなと思う。


恋愛だけに通じることではないよね、これって。


そうそう。

漫画といえば。

同漫画喫茶の店員おすすめ!のコーナーに

「部屋(うち)においでよ」があったので思わず読了。

同世代、および前後の世代のひとなら知っているはず。

原秀則さんの名作ですね。


恋人が原秀則さんの漫画を名作だといっていて

(漫画の話になると「バガボンド」などと並んで

「冬物語」と「部屋においでよ」がよく出てくる。

意外な感じなんだけど!)


原作はほとんどとびとびにしか読んだ記憶がないので

これはひとつ腰をすえて読んでみるか、と読んでみる。

とはいえどこかでやっぱり全部読んでいたらしく

だいたいのストーリーは記憶どおりである。不思議。

いったいどこで読んだのだろう?

ドラマは毎回見ていたのだけれども、その記憶ではなく、明らかに絵面として記憶している。

謎である。


そうして前に読んだときは、

文さん、にすっかり感情移入していたらしく、塩村ミキオ許せん!という感じだったのだが

(そんな気持ちの記憶、が読んでいると蘇ってくるのです、頭のなかに)、

今回読んでみると、文さん、よりも塩村ミキオの後半部分に納得してしまう。

やっぱり「仕事」をしてみると、

そうして年齢を経てみるとわかることってたくさんあるのだね。


若いころに読んでものすごく感動して号泣し、翌日目がぱんぱんで学校に行くのに困ったような本も

時を経て読んでみると、なぜ泣いたの?どこで???というようなことすらある。

もちろんその逆も然りで。

若いころにはどこが名作???と思った本を

最近になって再読してみると、胸に染み入ってきたりする。

そういう本が実にたくさんあるのだ。


ああ本が読みたいなあ。

今週はすこぅし時間がとれそうなので

たくさん本を読もう。