すこし前の話ですが。
筑紫哲也さんが亡くなりました。
筑紫さん。
筑紫さんは、私に。
中学生のころの私に。
「メディアに携わる仕事がしたい」という
将来の目標を与えてくれたひとのひとり。
それを実行するまでの筋道をつくってくれたひとのひとりだ。
筑紫さんが亡くなったことはだからいろいろな意味ではかりしれなく
誰でもいつか亡くなるのだというのはもちろん分かっているのだけれども
もっと先であってほしかったなあと思う。
筑紫さんも無念でしたか?
筑紫さんは無念だったんじゃないかな。
なんていうか、受け入れつつも無念。
だって筑紫さんはジャーナリストだから
「いつ死んだっていい」と思いつつ
いつだって死ねないのがジャーナリストだ。
この世の中には。
伝えなくてはいけないことがたくさんある。
取り組まなくてはいけない課題がたくさんある。
だから。
筑紫さんは情報の防波堤だった、
と作家の柳さんはいっていて、
ああなるほどたしかにそうだったと私は思う。
情報をただ垂れ流すのではなく取捨選択し、
その上で、筑紫さんとしての想いを載せる。
取捨選択の基準は、ただひとつ。戦争反対、という理念。
もちろんひとりの人間だから完璧なんてことありえなくて
いいこともわるいこともいわれたりするけれども
それでも私は筑紫さんの姿勢が好きだった。
そうしていま私がこうしているひとつの理由でもまたある。
もう元気なお姿を見られない
そのことがとてもかなしい。