親しい何人かの友だちと
定期的というか非定期的というか
そんなふうに食事にいく。
たいていいわれるのは
ナオとは久しぶりに会った気がしない
ということだ。
彼女たちは私の日記を読んでくれている。
だからそこに書かれた日々の徒然を知っている。
もちろん日記にすべてを書いているわけではないのだが
嘘を書いているわけではもっとないので
輪郭をなぞることは十分にできる。
また逆に日記にしか書けないことを書いているときもあるので
深淵にふれることもできる。たぶん十分に。
ウェブログがこんなにも一般化されたことで
日記を書いているひとはとても増えただろう。
書いていたけれどもやめてしまったというひともたくさんいるだろう。
私は日記を書くというのは
幼稚園のころからの習慣なので(もちろん長い中断もあるし毎日書いているわけでもないけど)
ブログなるものが世の中にではじめた最初は静観し
途中からこのシステムを使って日記を書くようになった。
誰に見せるためではなく
自分のためだ。
日記を書くということ。
それは自分を整理するための作業だ。
日々澱のようにたまっていくものもの。
いいこともわるいこともかなしいこともうれしいことも
日記に書くことによって放出され、そうして客観となる。
ああ私はこのできごとによってこんなふうに傷ついていたのだとか
あるいはこうして書いてみると実はたいしたこともないのだとか深い意味をもっていたのだとか
そんなことに気づいたりする。
だから私は日記を書き続けている。
なぜ友だちにまで見える/見せることにしているのか。
そのことを自問したことは実はほとんどない。
たぶん他愛ない気持ちでURLを知らせたか、
あるいはどこかから辿ってくれて見つけてくれたか、
そんなところだ。
私は自分自身の感情や状況について
誰にも知られたくいないということをほとんどもったことがない。
それは明るい太陽のもとですくすくと育ちましたということではなく
そんなことは話すべきじゃないのに!という垣根が、私にはほとんどないのだ。
それはたぶん性格だ。いいとかわるいとかではないだろう。
だから日記を読んでもらうことにも抵抗がない。
ただ私とかかわる友人やまわりのひとに
迷惑が及ばないようにすることだけは忘れないようにしている。
たとえば誰と会ったか。電話で話したか。メールしたか。
それが知られたらまずいかもしれないと思う場合には
その事実そのものすらもなにも書かないことも多々ある。
つまりそのような程度の日記だ。
私にはだいすきなブログがあって
それは友人と読んでいいだろうか?実際に会ったことは数回しかないのだが
とても影響を受けているひとが書いている日記だ。
具体的な事物についてもそうだし考え方や雰囲気もそうだ。
影響を受けているといっても考え方や雰囲気なんて
真似なんてできるようなものでもないから
だから私は単純にいいなあ好きだなあと思いながらそのひとと時に会ったり
日記をのぞいたりする。
更新頻度は高くないし
しかもいつ更新されるやもわからない。
書きたいときに書いているからだろう。
でもいつだってそのひとが書いたものを必ず読みたいから
毎日のようにそれこそストーカーのように
更新されないかな?とチェックしている。
更新されているとうれしくていっきに読んで
そのあとに何度も読みかえす。
好きな小説家の本の好きな小説のようなものだ。
あの、本屋の店頭で表紙を見つけて
「あ、新しい本が出てる!」と思う、あの昂揚。
彼女もときどき私の日記を読んでくれているようで
楽しいといってくれる。
この私生活垂れ流しのような日記を!
それはとても光栄なことだ。
そんな彼女がすこし思い悩んでいるのだろうか、
気になる内容のメールをくれた。
そうして、メールの最後に
ブログを読んでいるから会っているような気がするという旨のことが
書いてあった。
会っていないよ。
会っていないんだ。
会っていないんだけど
それでも離れていてもなにかのかたちで
元気をわけられるならいいなと思う。
メールでも日記でもなんでも。
一方でほんとうは会うべきなんじゃないかとも思う。
実際に会った回数を超える量の
メールやインターネットによる会話が増えてしまったら
それは実像ではなく虚像になってしまう
というようなことを、以前別のだれかにいわれたことがある。
でも距離が離れていたり物理的に会えなかったり
そういうことだってあるよねというのもわかっている。
会わないことのよさみたいなのだってもちろんある。
それにたとえば
大好きな小説家の小説をいつも読んでいるからといって
そのひとに会いにいったりするだろうか?
私はしない。
もちろん機会があれば会ってみたいなとも思うし
たとえば村上春樹さんが中野ブロードウェイを歩いていたら
絶対ちらちら見ちゃうだろうけど。
でも小説を読んでいるだけで満足だってできる。
ブログというのはもはや
そういうものなのだろうか。
いいとかわるいとか
そういうことでもないし
とりとめもない話でもあるのだけれども
日記というのは。いったい。