朝から電話。
中学時代の恩師が亡くなったとのこと。
恩師といっても担任の先生でもなく部活の顧問でもなく
授業を受けたこともない。
それでも先生の影響は私にとってはたぶん大きく
いまこうしているのは先生のおかげもままある。
先生は兄の担任教師でかつ兄が入っていた吹奏楽部の顧問の先生で
すごくこわいといわれているけれども実はあったかい、というタイプのひとだった。
そのように思う。少なくとも私にとっては。
同じ中学校で1歳違いで入学してきた私は
だから兄の妹ということで存在を憶えられていたし
たとえば授業を休んで遊びに行ったり
なにか問題、といわれるようなことがあっても
あいつはいまはああでも大丈夫だよ、といつもひとに言ってくれていたときく。
なにを根拠に大丈夫だと言ってくれていたのか
いまとなってはわからない。
それでも先生が信じれくれている、という思いは
ときに私をまたこちらに戻す。
そういう意味で、おかげ、なのだ。と思う。
卒業してからは数回お会いしただけで
あとは賀状のやりとりだけだった。
そのことをすこし悔やむ。
後悔をいましても仕方がないのはわかっているけれども。
それでも筆不精の兄のぶんも
私は担任でもなく顧問でもない先生に
年賀状で近況を書き続け先生も毎年返事をくださり
仕舞いには先生のほうから先に賀状を書いてくれるようにもなった。
いくつかのことを悔やむ。
悔やんでも仕方がないとわかっている。
だけれども。
同じ思いを抱いているひとはきっと私だけではないだろう。
先生、どうか安らかに
そうして生まれ変わったらまたどこかで
先生になってね。