俳優の緒形拳さんが亡くなりましたね。

緒形さんはとてもとても、好きな俳優さんなのです。


先ほど、ときどき行く店にランチを食べに行ったら

ちょうどワイドショーで緒形さんのことを特集していて

楢山節考で共演している坂本スミ子さんが、

緒形さんは最期に一世一代の芝居を打っていたということであって、

その芝居をみんなが見ていたのだ、

最期の最期に自分のための芝居をしていたのだ、

というようなことをおっしゃっていて

なるほどなと思った。


最期の芝居。


どんなふうに生きたいかということ。

どんなふうに死にたいかということ。


ふたつの考えなくてはならないことがあって

そろそろ私も後者について考えておく必要があると思う。

もう少し若いころは、いつか死ぬということはわかっていても

それがいつなのかということは考えたことがなかった。

考えたくないということではなく意識下になかったのだ。

でもそれは自分もまわりのものも健康で若くて

自分の死を意識するような大きな事故や事件が身のまわりに起きていなかったからに他ならない。


そんなふうに思う。


東野圭吾さんの「容疑者Xの献身」を読了。

東野さんの本はいつだって読み始めてから読み終わるまで

2日とかけていられない。おもしろくて途中でやめられないのだ。

仕事がなければ即日必至。すごいなあ。こんなふうに引力のある本って。


帚木蓬生さんの「千日紅の恋人」を読みはじめる。