久しぶりにレストランのことである。
レストランに足しげくかよっていたのは1年半ほど前までのことで
いまはすっかりとご無沙汰である。
それでもときどきは…月に1度くらいは誰彼となくレストランに行く。
親しい友人か従妹かがほとんどそのパートナーで
レストランが苦手な恋人と行くことはない。
どうして行かなくなったかというと
行きたくなくなったからだ。
かといってレストランが嫌いになったわけではまったくなく
いまの私の体調や精神状態によるところが大きい。
だいたいあまりひとと会いたくなくなった。
ごく数人の親しい、それもきわめて親しい友だちを除き
あるいは用向きのあるひとを除き
ここ1年半で私が自分から会いに行ったひとはとても少ない。
そしてそれでいいのだと思うようになった。
それこそがいいのだともいう。
私はひとよりそういう成長が遅い。
その以前は少なくとも週に1~2度、
多いときは週に3~4回はレストラン、もしくはそれに類するものに足を運んでいたので
いまの「月に1度くらい」がいかに少ないかがわかると思う。
そのころはレストランを選ぶのに苦労はなかった。
たとえば週に1度くらい「はずれ」ても、次の1回がすぐそこにあるのだから構わない。
もちろん私にとって食べることとレストランにいくこと
それもましてやひとりではないのだから、
「はずれ」ないようには気をつけているのだが
どうしたってはじめていく店では「はずれ」てしまうことはあるし
何度も行っている店でも、たとえばサービスのひとがたったひとり代わってしまうだけで
店そのものが変貌してしまうこともある。
よくなればいい。でも概して悪くなることが多い。
いまレストランを選ぶとき。
私はとても悩む。
数少ない機会だ。絶対にはずすくとなく楽しくおいしいものを食べたい。
こころないサービスにこころのなかで眉をひそめるようなことはあってはならない。
いまでもよく行っているのは神宮前のラルテミス・ペティアント。
サービスのメインパーソナリティだった塩見さんはもういないが
跡を受けたかたのサービスが・・・最初はぎくしゃくしていたが、いまはそのひとらしさが出てきていて
いいふうにまとまったと思う。
なにより中田さんがいるから私はラルテミスに行く。
中田さんがいなくなったら行かないだろう。
逆にここで名前を出すことはしないけれども
めっきりと足が遠くなった店もある。
その店のメーテルドテルが私は大好きで大好きで
彼の姿勢を学ぶために、その店に行っていたといっても過言ではない。
彼がいなくなってからその精神が受け継がれていたらいいなと
5回くらいはその店に行ったが
残念ながらその精神は受け継がれることなく店も停滞してしまったように感じる。
変わらないのはよい。でも停滞はいけない。
私自身が引越しをしたことで行きにくくなった店もある。
白金のラ・バスティード。
2階のカウンターダイニングで、魚が食べたいとか塩辛いのが好きだとか
カリカリに焼いたものがいいとか勝手なことをいいながら
シェフに料理をつくってもらうのが好きだった。
残念ながらラ・バスティードは閉店するというお知らせが届いた。
大谷さんはとても料理が上手だ。
そんな勝手なこちらの腹と舌をいつだって満足させてくれた。
いい意味でたくさん裏切られた。
だから閉店のお知らせはとても残念に思った。
どんな理由があるかは知らないが、そうして私は引越しをしてなかなか行きにくくなったけれども
いつか大谷さんの料理を食べに行きたいし
それにはあの2階のカウンターダイニングしかないなと思っていたからだ。
でもまたいつかどこかで大谷さんの料理は食べられるだろう。そのときを待ちたい。
龍土軒(正確には土に点がつきます)からは
改装の報せがとどく。
新しい龍土軒はどういう店になるのだろう。
マダムとシェフがいる限り龍土軒は龍土軒であるだろう。
でもやはりあの古色蒼然とした空間が私のなかの龍土軒であることも間違いない。
10月の閉店までにぜひとも足を運んでおきたいと思っている。
足を運んでおきたいというよりも足を運んでおかねばならないという
それはどちらかというと義務とか使命に近いなにかだ。
龍土軒を好きなひとはきっとみな同じ感懐を抱いているに違いない。
さてそんなことどもを
いろいろと思い出しながらこの日記を書いていたら
お腹がすいてきた。
最近気に入っているランチ処があるのだが(レストランではなく和食です。
実は和食というか定食屋が大好き)
先日から休業をしていて、もしかしたら働きすぎて倒れてしまったんじゃないかと心配している。
様子見がてらこれから足を伸ばしてみようと思う。