群ようこさんの「きものが欲しい!」を読了する。


きものに対する考えかたは

共感できるところとそうでないところがあり

ただきものを着ることが好きだという気持ちはとてもよく伝わってきて

また知らなかったことや、これは参考になるなということも

いくつかあり、なかなか興味深く読んだ。


欲しい!と思ったきものは買ってしまう、という境地には

私はまだまだ立てず、

(結果、「すってんてんになる」と群さんは何度も書いているが)

いつかそんなふうにできたらいいなとも思うし(すってんてんになりたいわけではない、もちろん)

また母や祖母から受け継ぐきものがあるというのも

そういうものがない私にはうらやましくうつる。

きものが増えていい、ということではなく

そういう、受け継ぐというものが、宝石とかバッグとか家とかではなく

きものである、ということ。


さてこの本のなかに、「きものサロン」での群さんと著名なかたがたとの対談が3篇ほど掲載されている。

佐藤愛子さんの気風には脱帽だし

平野恵理子さんの「あ、これは私のためにある」とつい店頭で気に入ったものを買ってしまうところには共感だ。

おふたりのきもの姿はとても素敵だ。もちろん群さんもだけど。


わけても篠田桃紅さん。

ああなんて素敵なのだろう。

その着こなし。ふだんのようでいてしゃんとして。

とてもとても、美しい。


そんな篠田さんが渡米して暮らしていたときのことが、

対談で紹介されていた。


群さん「日本に戻ってこられて、のちのち外国で暮らしたいとは、考えたことなかったんですか」

篠田さん「何度も思いました。ただ、私が小さいときからなじみ、自分の仕事としてきた墨は、日本の、東洋の風土のものです」

群さん「ああ、やはりそういうものですか」

篠田さん「あちらでしたら、オイルペインティングを描くべきだと思うんです」

群さん「それは、気候とか湿度ですか」

篠田さん「風土です」


風土。

なるほど風土。


つづけて篠田さんはこうおっしゃっている。


風土。光線。すべて。

私、持っていった着物を、ニューヨークの外の光で見たとき、ええっと思ったことがあります。


私は海外できものを着た経験はないが(まあ日本でだって数えるほどしかないが)、

海外の光のなかでは植物ひとつとっても

まったく違って見えることを知っている。


そうしてだからこそ

きものという日本の文化を

日本人である私が

この日本で愉しむことは

とても自然なことであるのだなあと思うのだ。


と思うのだが

なかなかたんすのこやしからは脱っすることが

できないのだけれども。