書店でふと手にした「太陽の塔」。


太陽の塔って実際、たいした建造物だと思う。

モノレールに乗ってだんだんと近づいて

真下から見上げて後ろから見て最後にまただんだんと遠のいて

建造物っていくつもあるけれども

そのたった一度のインパクトでたぶんずうっと忘れられない具象なのだ。

肯定的に「素晴らしい」とか「芸術だ」とかは、正直言って思えないのだけれども

見るひとのこころをどんな意味合いでもとらえ、圧倒することを

芸術の役割とするのならば

やはり太陽の塔は圧倒的に芸術なのだ。

しかも太陽の裏側は、月だしね。

行ってこの目で見るまで知らなかったし。


で、小説「太陽の塔」。

最初は”???”なんだけど、そのうち妙に爽快。痛快。

私はこの「根本的に間違っている」登場人物たち、

ひとりひとりを決して嫌いじゃないのだよ。

どこかにうっすらと既視感すらある。

たとえばこんなところ。


「私」の友人の飾磨くんが、彼女と大阪の、

あのてっぺんに観覧車を載せたビルへデートに出かけるシーン。



やがて順番が巡ってきて、彼は先にゴンドラに乗り込んだ。彼女が続いて乗り込もうとすると、彼は厳然としてそれを押しとどめた。

「これは俺のゴンドラ」

ありえないけどあるえるなあ。

こういうこと、いいそうなひと、いたものね。あの男汁くさい部室の片隅に。


「じゃあ、こっちは私のゴンドラ!」と別のゴンドラにひとりで乗って

空を一周する勇気は

もちろんいまだって持ち合わせてはいないけれども。



観覧車