氷室冴子さんが亡くなった、というニュースを見た。

少女小説家、とでもいうのだろうか。

私も中学生の前半ころだろうか、夢中になって読んだことがある。


それまで小説というものは

絵空事、だと思っていた。

それはそうだろう。

家にある小説は、芥川や太宰や漱石やドストエフスキーやヘミングウェイで

たとえ私小説を読んだとしたって

中学生の女の子にとってはいずれにせよ絵空事、なのだ。


だから、氷室さんの本を読んだときには

ほんとうに驚いた。

私が読んだのは「クララ白書」「アグネス白書」のシリーズものと、

「なぎさボーイ」「多恵子ガール」「北里マドンナ」のこれまたシリーズものなのだが

そのあまりの身近さ、というか、

小説を読んで「わかる!」と思ったのは、これがはじめてのことだったのだ。


そうして氷室さんの本を最初に貸してくれたのは・・・そう、中学生のころは、よく友だちと本やCDの貸し借りをしたのだ・・・Fちゃんという子。

Fちゃんはクラスでも仲のいいほうの子だった。

その頃の女子にありがちな

ふわふわしたことや親や家族との軋轢なんかも

よく話し合ったものだが

どこかほかの女子たちといっぷう違っていて

静かなたたずまいとすずやかな瞳と大人びた表情で

休み時間にはひとりで本を読んでいるような子だった。


中学校を卒業して高校が違ってからは

ときどき手紙のやりとりをするくらいで高校を卒業してからは消息を知らない。

気にしていなかった、といってもよいだろう。

なにをしているのかなと、ときどき思い出すことはあっても

田舎の中学校の同級生たちはほとんどが地元の高校を出てから地元で就職をしているので

Fちゃんもそうなのだろうかなとなんとなく思っていた。


何よりFちゃんは田舎の旧家の、二人姉妹の長女で、

お父さんは地元の有名な会社の役員さんで、

そうして彼女がたとえば大学に進学したいとか長野を出たいいうことを

反対するようなタイプだった。

お父さんが望んでいるのは地元のいいところのいいひとと結婚して

旧家を継いでくれることだったのだから。

そのことにFちゃんは中学校のころから悩んでいたのだ。


だけれども。

強い意志を持ちながらそれをおもてに出さなかったFちゃんは

もしかしたらお父さんの意志を尊重しているかもしれないなとも思っていた。

そうしてFちゃんはそういう生き方が全然似合わないともやっぱり思いながらも。

いいとかわるいとかそういうことではなく。


氷室さんの死を知って

Fちゃんのことを、そういえば本当にどうしているのだろうかと

ひょっとして消息がわかりはしまいかと検索をしてみて驚いた。


彼女はここ10年くらい、アフリカや中東やボスニアや、

つまり紛争地帯にいて、難民救済を仕事にしていたのだ。

それもいまやその道のプロフェッショナルであるらしく

「一時帰国」が平和団体でのニュースとしてとりあげられ、しばしば講演もおこない、

そうしてまた紛争地帯に帰っていく、という暮らしをしているらしい。


アフリカの子どもたちに囲まれて

いっぱいの笑顔の写真の彼女は

中学校のときとぜんぜん変わっていなくて

すぐに彼女とわかった。


彼女の活動をとりあげた

いくつかの記事を読んだ。

すごいなあ。すごいことやってるなあ。

すごいね、Fちゃん。


そんなことを何度も思った。

「っぽい」とひとのことを定義するのは好きではないけれども

それでも田舎の旧家でじいっとしているFちゃんよりも

紛争地帯の子どもたちの笑顔のために身をやつしているFちゃんのほうが

似合うなと思った。


いつかどこかで会えたらいい。

そんなことを思った。