あたたかい一日。

今日はプチ出張で房総へ。
東京でさえあたたかいのだ。
房総はさらにあたたかく夏がもうやってきているようで
気持ちがよくてうきうきとした。

いつもは客先へは最寄り駅からタクシーで行く。
でも今日は、そのすこしながい距離を歩いてしまったくらいに気持ちがよかった。

ノースリーブのワンピースにジャケットをはおっていたのに
ジャケットなんて全然いらなくて
だからノースリーブ一枚で房総の空の下を歩いた。

夏みたい。

こういう気分は大好きだ。

いつもより早く打ち合わせも終わり
まだ日が高いうちからおりよく乗れた特急で東京に戻る。
恋人から、駅で待っていると電話がきたので
中野で待ち合わせでお鮨を食べに行く。

まだ歯(というか歯があったところ)が痛くて
あまり食べられないのだが
それでも一緒に食べるのはどんなものでもうれしいと思う。

恋人の会社を手伝ってくれている学生の子から
ほぼもっとも志望していた会社の内々定が出たので就活を辞めることにしたと連絡が入る。
客観的に見てもすごくよい会社なので(名前が、ということではない、もちろん。でも名前もいいけどね)、
嬉しい。

その子は何人かきている学生のなかでも群を抜いてすばらしい子で、
だからいろいろと応援をしていたのだが
彼なりの志望理論のなかで受けた会社はほとんど全部内定を得て、
さすがとしかいえない感じだった。

4月までの一年、恋人の会社でみっちり仕事をし、
人生の明確なビジョンのひとつのマイルストーンとして
来年からはその某企業で働くことになるだろう。
これからの人生に幸多からんことを祈っている。

とにもかくにも。おめでとう。

鷺沢さんの「かわいい子には旅をさせるな」を読了する。
鷺沢さんは好きな作家のひとりで、著書もだいたい読んでいた。
でも彼女が自らいのちを絶ってしまってから、すこし遠ざかっていた。

死ぬのだって自由だけれども
やっぱり生きたくても生きられないひとの不自由のほうが
私はつらく思うから。

それに芥川や太宰よりも
生きているころを知っている(間接的にだけど)鷺沢さんの死は
とてもなまなましくて、ほかほかしている感じがして
著書を読むのはさらにつらい。

鬱病が起因で突発的に自殺をしてしまったそうなのだが
それでもやはりかなしいことだ。

このエッセイは、彼女の最後のころに書いたもののようで
ますますいろいろと考えてしまうことになった。
別にそういう、死にいたるなにか、みたいなことが特段に書いてあるわけでも
ないのだけれども。

いま生きていることに
感謝しないとと思う。