いしいしんじさんの「絵描きの植田さん」を読んだ。

いしいさんの作品は
好きなのとすごく好きなのがあって、だからたいていのものは読んでいる。

だいたい私のこの日記にしろ、途中から日々たべているものを書き記しはじめたのは、
いしいさんのブログ「いしいしんじのごはん日記」の影響だ。
ブログ、おもしろいですよ。おすすめ。
でも読んでいると海のそばと山のそばに引っ越したくなるけど。

この「絵描きの植田さん」は間違いなく「すごく好きな」にあたるものだ。

植田さんは耳がほとんど聞こえない。
二年前におきた不慮の事故で、聴力と恋人を一遍にうしない、
その三ヵ月後、湖に面した高原の一軒家に引っ越してくる。

そうして物語がはじまる。

物語はとても静かだ。
耳がきこえない植田さんのこころのなかのようなのかも知れない。ひょっとしたら。
私は耳がきこえるからよくわからないのだけれども。
そしてこの物語に出てくる人たちは、みなとても素朴で、生きるちからに満ちていて、
そのちからによってまわりのひとをあたためている。ように思える。

こんな一節がある。
 
 そう漏らすと、イルマは雪を割るような笑顔をにっこりと向け、おねえさんがいてくれるだけで、私は大いに助かっているのよ、といった。私の大好きな人が身近にいて、その人らしくまじめに、懸命に暮らしていてくれる、ってことが、いまの私にとっては何よりうれしいの。それに、あいかわらずおしゃれなんだもの、感激しちゃった(おかみさんは袷の古着を裂いて織り直した、手製のエプロンを身につけていた)。

生きるちから。
生きていくちから。
ひとと生きるということ。

私には難しいことはよくわからない。
よくわからないのだけれども。
それはたとえばこの一節のようなことなのかもしれないと
私は思うのだ。

この本の装丁、挿画は植田真さんが描かれてますが、
どれもはっとするほどあたたかく、美しいものです。