ちょっと前に書いた日記です。
書いたままにしておいたのを忘れていたので、今日アプライしておきます。

最近、ロシア文学が流行っているのでしょうか。

書店に行くと、「カラマーゾフの兄弟」とか「罪と罰」「アンナカレーニナ」とかが平積みになっている。
こちらはロシア文学じゃないけど「ツァラトゥストラはかく語りき」、なぞも並んでいたりして、
こんな重厚長大なものものが書店の売れ筋なんてどう考えてもおかしいと思ったりしながら通り過ぎる。

だいたいこの手の重苦しい本を最初に読むのって
中学生とか高校生くらいなんじゃないかと思うのだが。
(小学生用に簡易につくられたものではなくてね)
それで最後まで読めずに挫折するか(だいたい登場人物の名前がまず難解。ラスコーリニコフとかムイシュキンとか舌を噛みそうな上に似たような名前が頻出)、あるいは読みきるかして、人生についておおいに悩むか、あるいは悩んだふりをする。

私の母なぞは若かりしころ、これら一連の本を読み「生きること」にたいして意味を見出せなくなり、
毎日鬱々と暮らして死ぬことばかり考えていたそうだ。
神ならばこの答えを出してくれるのだろうかと(ロシアの小説にはたいていイエスが出てきます)、
近くの教会に行き、神父様だか牧師様だかに人間の不条理に関する質問までしたのだそうだ。
(いきなりそんなことを聞かれて神父様だか牧師様もさぞや面食らったことでしょうね)
そんな鬱々ライフ、とてもいまの母からは想像できやしないのだが。
まあつまり、ロシア文学を来る日も来る日も読み続けると、それくらいの影響は出るということだ。

かくいう私も中学生のはじめくらいに「罪と罰」を読もうとして挫折し、
高校生のおわりくらいにふたたび手にし、今度こそ最後まで読みきってふんふんとわかったような気持ちになり、
というか読み物としてのおもしろさ、を知り、一方でやはり暗澹とした気持ちにはなり、
受験勉強もせずに一連のロシア文学を読んだのだった(そしてその後また、読書しない生活に戻る)。
私の場合は生来飽きっぽいので、暗澹とした気持ちはたいして続かなかったのだが。

さて書店に並んでいるロシア文学たち、
おおくは翻訳書なのだが、なかにはマンガで読む~とか、数ページに割愛した「あらすじ本」みたいなのまであって、それってどうなんだろう。
あの難解極まりない名前の連発からにじみ出てくるもの、
行間から漂う常にどんよりと曇って雪が舞っていそうな風景、
読んでも読んでも終わらない本の厚さ、質感。
そういうものがぜんぶそろってはじめて理解できるものなのではないかとも思う。
それでもそういう簡易なものから、小難しいものへの興味が湧いてくれるなら
そうしていつかあの分厚い本を手にするときがくるのなら
それはそれでよいのかもと思いつつ。