広辞苑が10年ぶりに改訂されるそうだ。

10年ぶりってその期間の長さはなに?と思ったのだが、
「10年」というのは岩波で決められている基準の長さ、なんだそうだ。
昨日見ていたテレビで広辞苑の編纂の歴史のようなものをやっていて知ったのだが、
ことばの定着を見る等のために必要な長さ、ということらしい。なるほど。
過去には7年改訂、などの場合もあるけれども、それは世紀が変わるから、などの
諸般の事情による例外で、通例は10年なんだとか。

あれだけの辞書を編纂するのって、
途方もない印象なのだけれども、
実際にその工程は途方もないものだった。
テレビの特集で途方もないなあと思うくらいなのだから、
編纂者にとってはさらに途方もない作業なんだろう。その蓄積。


広辞苑のこと。

私の家にも広辞苑がある。
大学に入学するときに母から贈られたものだ。
母は子どもたちが進学するときに広辞苑を贈るとこころに決めていて、
だから兄弟たちにもそれぞれの広辞苑、もちろん実家にも広辞苑と、
私のまわりにはたくさんの広辞苑がある。

それというのも。
母が若かりし頃、看護学校を出て最初のお給料で買ったのが、親への贈り物と、
自分のための「広辞苑」。
(準看なのでとても安給料だった、と母はよくいう)
当時の広辞苑は母がもらったお給料の2~3割くらいだったらしいのだけれども、
それでもどうしても欲しくて欲しくて手に入れた、
「広辞苑」はそんな思い出の辞典なのである。

おまえたちが大学に入るときには、お母さん、みんなに広辞苑をプレゼントするんだ、
と母はそれこそ小さいころから子どもたちにときどきそんな話をしていて、
そういう母の気持ちが詰まった広辞苑だから、もらったときはうれしかったし、
知らないことばはインターネットで調べることがふつうのいまでも、
書棚のすみにひっそりと、広辞苑はいつもある。
もう15年も前の広辞苑。

なんで広辞苑なんかあるの?ネット見たらいいのに、と友だちにも笑われたし、
そんな重い本、必要なん?と引越しのときに恋人にもいわれたけれども。
そんな母からの贈り物だから、だからたとえ読まなくても、
広辞苑は私にとってずっととくべつなものなのだ。