今日は高校サッカーの決勝戦。
藤枝東×流通経済大学付属柏、というカードです。
テレビで観戦。
流経柏には大前くんというすごい男の子がいて、
決勝戦でもスーパープレイを続出。
大前くんのプレイが華々しすぎて隠れがちなんだけれども、
流経柏は選手がみな非常に動きがよく押しも強い。
スピード感もあるし当たり負けしない。
決勝にいたるまでの試合もいくつか見ていたのだが、
キーパーの子もすごくうまい。
藤枝東もとても強いのに(藤枝東のこれまでの試合も見ているがいいチームである)、
しかし決勝戦では、まるで大学生と高校生が試合をしているように見えてしまうくらいの差が出てしまった。
残念だ。
決勝であんな得点差がついてしまうのを見るのはかなしい。
でもなんていうのかな、
高校生なんて、もはや子どもみたいなものなんだけれども、
その子たちがこんなにも頑張って、必死で、歯を食いしばって、
負けたことの悔しさに泣いて、あるいは泣くこともできないくらいの気持ちを抱いて、
勝ったときには素直に喜んで、みんなで抱き合って讃えあったりして、
そういうのってすごくいいなあと思うのだ。
私にはそういう、地面にへたりこむほどなにかに打ち込んだことがない。
仕事をしはじめてからはわからないけれども、
高校生とか大学生とかもっと若い時代に
そういう、わかりやすいかたちで頑張った経験がないのだ。
だからこそ、強烈にうらやましいと思う。
一方で、彼らには遠く及ばないものの
あの世代特有の一生懸命さやまっすぐさを有していたころは確かにあって、
いまはそういう世界や気持ちとは明らかに違うところにいて、
それはいいとか悪いとかいうことではない。
そういう、ああトシとったな、みたいなこと言っちゃダメ、というひともいるけれども、
でもトシをとるのはいいことだと私は思う。
年齢を重ねたなりの生き方や、
年齢を重ねたなりの一生懸命さやまっすぐさ、
それはそれでとてもいいものだ。
ただ一方で、トシをとって失うことがあるのは事実であって、
それに目をつぶることはやっぱりできない。
失ったものたちを目にしたときに、
ああやっぱり自分は失っているのだなあと認めること・・・
それは淋しいというよりも、なつかしいという思いに似ているのだが、
そうして自分が選択してこなかった、わかりやすい一生懸命さへの憧憬と、
過去へのちょっとした悔いを感じること。
それは、きっとこれからの私をかたちづくるようにも思う。
それにしても。
こんなごたくを抜きにして、
彼らはとてもきらきらとしていて、
負けてしまっても泣いていてもやっぱりきらきらとしていて、
ああいいなと思うのだった。
藤枝東×流通経済大学付属柏、というカードです。
テレビで観戦。
流経柏には大前くんというすごい男の子がいて、
決勝戦でもスーパープレイを続出。
大前くんのプレイが華々しすぎて隠れがちなんだけれども、
流経柏は選手がみな非常に動きがよく押しも強い。
スピード感もあるし当たり負けしない。
決勝にいたるまでの試合もいくつか見ていたのだが、
キーパーの子もすごくうまい。
藤枝東もとても強いのに(藤枝東のこれまでの試合も見ているがいいチームである)、
しかし決勝戦では、まるで大学生と高校生が試合をしているように見えてしまうくらいの差が出てしまった。
残念だ。
決勝であんな得点差がついてしまうのを見るのはかなしい。
でもなんていうのかな、
高校生なんて、もはや子どもみたいなものなんだけれども、
その子たちがこんなにも頑張って、必死で、歯を食いしばって、
負けたことの悔しさに泣いて、あるいは泣くこともできないくらいの気持ちを抱いて、
勝ったときには素直に喜んで、みんなで抱き合って讃えあったりして、
そういうのってすごくいいなあと思うのだ。
私にはそういう、地面にへたりこむほどなにかに打ち込んだことがない。
仕事をしはじめてからはわからないけれども、
高校生とか大学生とかもっと若い時代に
そういう、わかりやすいかたちで頑張った経験がないのだ。
だからこそ、強烈にうらやましいと思う。
一方で、彼らには遠く及ばないものの
あの世代特有の一生懸命さやまっすぐさを有していたころは確かにあって、
いまはそういう世界や気持ちとは明らかに違うところにいて、
それはいいとか悪いとかいうことではない。
そういう、ああトシとったな、みたいなこと言っちゃダメ、というひともいるけれども、
でもトシをとるのはいいことだと私は思う。
年齢を重ねたなりの生き方や、
年齢を重ねたなりの一生懸命さやまっすぐさ、
それはそれでとてもいいものだ。
ただ一方で、トシをとって失うことがあるのは事実であって、
それに目をつぶることはやっぱりできない。
失ったものたちを目にしたときに、
ああやっぱり自分は失っているのだなあと認めること・・・
それは淋しいというよりも、なつかしいという思いに似ているのだが、
そうして自分が選択してこなかった、わかりやすい一生懸命さへの憧憬と、
過去へのちょっとした悔いを感じること。
それは、きっとこれからの私をかたちづくるようにも思う。
それにしても。
こんなごたくを抜きにして、
彼らはとてもきらきらとしていて、
負けてしまっても泣いていてもやっぱりきらきらとしていて、
ああいいなと思うのだった。