プチ出張終了、自宅に戻ってきました。
今夜は恋人は新年会をかねて食事をしてくるので
ひとりごはんの日。
出張疲れがでたので、相当ジャンキーなものを食べ、ばんごはん終了。
移動の車中で坂本栄治さんの「遠別少年」を読了。
村上春樹さんの「東京奇譚集」を読みはじめる。
中学校と高校のとき、実は私は本をほとんど読まなかった。
私の両親はものすごく本を読むひとたちで、
両親が学生のころから読んでいる本が子供部屋や居間や納戸の壁面すべてを埋め尽くしているような家で私は育ったし、だから私にとっても本を読むことは息をすることと同じくらい自然なことだった。
中学校の途中くらいまでは、毎日何冊も本を読んでいたような子どもだったのだが、
中学生のあるとき「私は本は読まない」と決めたのだ。
もう本は読まない。
・・・いま思えばなぜそんなことを決意したのか、もはや定かではない。
けれどもその決意どおりに、私は本を読まない中高生時代を送った。
それが忘れもしない大学3年生のある冬の日。
アルバイトの帰り道にふと立ち寄った勝鬨橋のたもとにあるちいさな書店で、私はたぶん恋をした。
これもいまとなっては理由はわからないのだが、
不意に手に取った村上春樹さんの短編集「風の歌を聴け」をぱらぱらと立ち読んで
村上春樹さんの文章に激しくこころを奪われてしまったのだ。
それから毎日毎晩、出かけるのも食事をするのももどかしく村上さんの本を読み続け、
当時でも20冊以上はあったであろう文庫本を1週間弱で読み終わり、
(昔とった杵柄で、読み出すと「読むこと」に対する抵抗はまったくなかったのだった。
おまけに大学生だったので、アルバイト以外の拘束時間は皆無といってよかった)
以来、また私の生活は、本とともにある生活、へと逆戻りしたのだった。
勝鬨のあたりにはなぜか地縁があるらしく、
社会人になってからは住んだこともあるし、
またいまは病院があるので月に1度は勝どきのあたりに行く。
そのたびにまだあるそのちいさな書店の前をとおる。
本にふたたび恋をした、ちいさな書店。あの冬の日のこと。
あのときと変わらぬたたずまいのちいさな書店の前をとおりながら、
あの胸をしめつけられるような
どきどきとするような高揚感を思い出す。
そんなことを。
久しぶりに読んだ村上さんにつられて思い出した。冬の一日。
今夜は恋人は新年会をかねて食事をしてくるので
ひとりごはんの日。
出張疲れがでたので、相当ジャンキーなものを食べ、ばんごはん終了。
移動の車中で坂本栄治さんの「遠別少年」を読了。
村上春樹さんの「東京奇譚集」を読みはじめる。
中学校と高校のとき、実は私は本をほとんど読まなかった。
私の両親はものすごく本を読むひとたちで、
両親が学生のころから読んでいる本が子供部屋や居間や納戸の壁面すべてを埋め尽くしているような家で私は育ったし、だから私にとっても本を読むことは息をすることと同じくらい自然なことだった。
中学校の途中くらいまでは、毎日何冊も本を読んでいたような子どもだったのだが、
中学生のあるとき「私は本は読まない」と決めたのだ。
もう本は読まない。
・・・いま思えばなぜそんなことを決意したのか、もはや定かではない。
けれどもその決意どおりに、私は本を読まない中高生時代を送った。
それが忘れもしない大学3年生のある冬の日。
アルバイトの帰り道にふと立ち寄った勝鬨橋のたもとにあるちいさな書店で、私はたぶん恋をした。
これもいまとなっては理由はわからないのだが、
不意に手に取った村上春樹さんの短編集「風の歌を聴け」をぱらぱらと立ち読んで
村上春樹さんの文章に激しくこころを奪われてしまったのだ。
それから毎日毎晩、出かけるのも食事をするのももどかしく村上さんの本を読み続け、
当時でも20冊以上はあったであろう文庫本を1週間弱で読み終わり、
(昔とった杵柄で、読み出すと「読むこと」に対する抵抗はまったくなかったのだった。
おまけに大学生だったので、アルバイト以外の拘束時間は皆無といってよかった)
以来、また私の生活は、本とともにある生活、へと逆戻りしたのだった。
勝鬨のあたりにはなぜか地縁があるらしく、
社会人になってからは住んだこともあるし、
またいまは病院があるので月に1度は勝どきのあたりに行く。
そのたびにまだあるそのちいさな書店の前をとおる。
本にふたたび恋をした、ちいさな書店。あの冬の日のこと。
あのときと変わらぬたたずまいのちいさな書店の前をとおりながら、
あの胸をしめつけられるような
どきどきとするような高揚感を思い出す。
そんなことを。
久しぶりに読んだ村上さんにつられて思い出した。冬の一日。