歌手の浜崎あゆみさん、病気で片方の耳が全然聞こえないのだという話をニュースサイトで見た。
なんというか。すごく気の毒だけれども、諦めないし言い訳もしないというコメントに対して、
素直にすごいなあと思う。

目に洗濯洗剤が入って一時的に目が見えなくなったりと
なんでそんなことが?というようなことがときどき起きて
友人たちに不思議がられる私であるが、
(恋人に今回片方だけ視力が落ちたのはこの洗剤事件のせいではないかといわれた。
本人でさえ忘れていることをこんなふうに憶えていてもらえるのは幸せなことだ)

実は5~6年前に難聴にもなったことがあって、
一時期、片方の耳が全然聞こえなかった。
内耳炎をこじらせてしまったらしく、耳の細胞は一度壊死すると二度ともとに戻らないんだ、どうしてもっと早く医者にこないんだ、とそのときもお医者様にひどく叱られた。
確か仕事がすごく忙しくて、それに異動したばかりということもあって、
異動先に迷惑をかけたくないという気持ちでいたら結局は自分のからだを痛めてしまったのだ。
(いまもそういうところは変わっていない。よくないなあ。。。)

難聴になった、と両親にいったら、
それを伝え聞いた大叔父が(大叔父は突発性難聴で結局、片耳の聴力をなくしている)、
そのときかかっていたという名古屋の有名なお医者様を紹介する手はずをすぐに整えてくれたりして、
ああ自分が思うよりも自分はまわりのひとたちに心配をかけ、大切にされているんだなと
思ったものだ。
帰省で顔をあわせるたびに、大叔父はいまでも耳は大丈夫かと私に聞く。

そうしてそのときの耳は、
いまでも疲れるとそのとき悪くした耳の聞こえが悪くなるけれど、
幸いふだんはなんともない。

ニュースを読んで
そんなことを思い出したりした。

どうして過去に起きたたいせつなことを
だいじにしようと思った気持ちを
私はこうして置き去りにしたり忘れてしまったりするのだろう。

ふだんはなんともないという
この幸せな状況を当たり前だと思ってしまうのだろう。

そんなことを思い返す、
今日はいいきっかけになった。

ここのところすこし
幸せに甘んじていたかもしれない。反省。

感謝すること。
ちいさなしあわせをたいせつに思うこと。
たいせつなひとをたいせつにすること。
自分をもっとたいせつにすること。

少し遅くなったけれども。
新年の誓いということで。