大切な友だちに、なにか緊急事態が起きたらしい。
それもかなしいできごとが。

彼女の日記からそれを知ることになって、
具体的なことはまったくわからないのだが、
こころがいたむ。

どうしているのかなと思う。
仕事が忙しい彼女のこと、きっと今日も仕事をしているのだろう。

仕事をしていると気持ちがまぎれる。
どうしようもなくぽっかりとこころに穴があくようなことが起きたとしても
目の前にたとえばおおきな仕事があって
それがどうしてもあとまわしにしたり、代役を立てたりできないような仕事だったとしたら
どんなにいまつらくても私は仕事をするだろう。
仕事になんかならなくたって、するだろう。

泣きながらだって仕事はできる。
もちろんそんなふうに仕事をしたくなんかないけど。
でも心ではわあわあ泣いて、目は真っ赤で鼻水ずるずるいってても
机に座って仕事をするくらいの芸当はいまの私にはできる。
(そんな私を見るまわりのひとは迷惑だよ、というのは置いておいて)
そのうちには、仕事に没頭することだってできるのだ。

乗り越えることはできなくても、
やり過ごすことはできる。

それを彼女は「経験と役割」によるちからだといっていて、
20代のころはそういうのがわからなかったけどいまはわかるといっていて、
その感覚は私にも、なんだかとてもよくわかるのだ。

前にもこういうことあったなとか
(あのときは死にそうにつらかったけど、実際にはそれくらいのことで死んだりしない)
いまの私が仕事を放り出したら、あの子とこの子やクライアントさんが困るなとか
そういうこと。

30代も半ば近くになって
そういうことに実感を持てるようになった。
かなしいことはかなしいことだけれども
だから私は年をとるのは全然嫌いじゃない。

それに。
かなしいことがあると忘れてしまうけれども
ぜったいに、もっとずっとうれしいことやたのしいことがあるのだ。
渦中にあると忘れてしまうけれども。必ず。

そうして
願わくば友だちに
たいせつな友だちに
うれしいことやたのしいことがたくさんありますようにと
私は祈る。