アメリカには行ったことがない。
行きたいと思ったことも、実は一度もない。

アメリカに行かない?と誘われても、いいねえといいながらもその実本気で行きたいと思ったこともないし、
ひとりたびの行き先として選んだこともない。

まわりにはアメリカに行ったことがあるひとはたくさんいて、
仕事だったり遊びだったり短いあいだの旅行だったり何年間もだったり、
さまざまなのだけれども。
そうして行ったことがあるひとの体験談として…いいところも悪いところも、
あるいはテレビやなにかで目にする国として、
アメリカはしょっちゅう私のそばにあるはずなのに、
それでもなんだかもっとも遠い国のひとつなのだった。

どうしてそう感じるのなのかはわからない。

きらいというわけでもなく、同じくらい好きというわけでもない。
ただなぜだろう、リアルにその国を感じられないのだ。
まわりにはこんなにアメリカ的なものがあふれているというのに。

中島京子さんの「ココ・マッカリーナの机」を読んだ。

出版社で昼夜となく働いていた編集者の中島さんが、ふとしたきっかけで仕事をやめ、アメリカはワシントン州、ブレマートンという田舎の港町に日本文化を紹介する教育実習生として赴任する。
この本は、その一年間の日々を綴ったエッセイである。
ココ・マッカリーナとは、キョウコ・ナカジマと発音できない生徒たちがつけたニックネームだそうな。

さて中島さんが赴任した私立の学校は、3歳児から8年生(中学2年生)までの子どもたちがいるのだが、
この子どもたちとのやりとりがとてもいい。

朝学校へ行くとびっくりさせられることがある。
「ミス・マッカリーナ、アイ・ハヴ・ア・スラァッグ」
と嬉しそうに四歳くらいのコドモにナメクジを差し出されたりするからである。
(中略)そんなもん、持つなよ、と言いたいが、無邪気な笑顔を見ると「グーッド」と何がいいんだかわからないが声を掛けることになる。--コドモたちは一茶が大好き より

教室のドアを開けると、いっせいにオチビさんたちが集まってきて、ミス・ココ!と口々に何やら言い立てる。ひどく興奮しているので、なんだかさっぱりわからない。
(中略)小人に連行されるガリバーのようにして、近寄ってみると、先生の机には緑色の絵の具がポタポタと落ちていた。
「レプリカンが来て汚したんだ」
悪ガキ顔のジョーダンが腕を組んできっぱりと言った。
「ワーオ!」と私は驚いて見せた。
本当はまったく事態をのみこんでいなかったのだが、
「ワーオ!とココ・マッカリーナ、ここで驚く」というト書きが、みごとに全員の三歳児たちの顔に書かれていたのを読んだのである。
「来たんだ、来たんだ」
口々に言いながら、コドモたちはそれぞれブロックや積み木、人形遊びのコーナーに散っていった。---セント・パトリックス・デーより

ピクニックは夕方まで続いた。
さよならを言って、引き上げて行く人を見送りながら、
「夜はキョウコにサモアを食べさせるの」
と、得意げにサムは言った。
(中略)サモア、と聞こえたのは、「サム・モア」というもので、焼いたマシュマロとチョコレートをビスケットでサンドイッチしたデザートだった。串に刺してバーベキューの火で焼いたマシュマロがチョコレートをも溶かして、口の中で混じり合う。
「誰でも食べるともうちょっと欲しくなるの、だから、サム・モア」っていうの。
私の生徒はなかなかいい先生で、ワシントン大学の英語コースよりも実践的にいくつもの単語を教えてくれた。---サムの夏休み より

そこにあるのは。その本にあるアメリカは。とてもふつうの光景だった。
ふつうのひとたちとの、ふつうの毎日。
どこにでもいる、ときに自分勝手だったり怒りっぽかったり、どこまでもやさしかったり控えめだったりする、そんなひとたち。

私は中島京子さんの目をとおして、はじめてアメリカに興味を持った。
はじめてアメリカに、リアルさを感じることができた。

うそっぽくもうすっぺらくもコピーっぽくもなく
アメリカにもアメリカで暮らすひとがいるということ。
日本にも日本で暮らすひとがいて、そのひとりが私であり、あなたであるというように。

いつかアメリカに行ってもいいな。
そんなことを思った。