最近、親しい友だちのブログで、「転機」の話が出ていた。
3年前に転機を迎えた。
とても悩んだ時期だが、そのときの選択が・・・たとえば仕事、たとえば人間関係、こころのもちかた、などがいまの自分をつくっている、という内容。
彼女は私と同年代で、
だから3年前というと、ちょうど30歳前後にあたる。
最近読んだ本に、「29歳転機説」のようなものが書いてあった。
なんでも29歳というのは人生の節目にあたるらしい、
活躍をしているひとに人生の節目や転換点について話をきくと、みな「29歳」をターニングポイントと答える、のだそうだ。
そうして私がおもしろいと思ったのは、その本の著者があるひと(高名なお坊さんだったかな)に、「29歳」について聞いてみたというエピソードだ。
うろ憶えなので申し訳ないのだが、29歳というのは、生涯のなかでもっとも「素晴らしい」年齢にあたるのだそうだ。
だからそのときにした決断なり選択が、その後の人生に影響を与え、人生を輝かせるのは当たり前だ、と。
では29歳をのんべんだらりと過ごしてしまったらどうしたらいいんでしょうか?
著者は聞く。それはそうだ。なかにはそういうひとだっているだろう。
するとその高名な方は笑いながら、こういったのだそうだ。
それはもうどうしようもないですね。でもそれもまた人生です。
29歳という、誰にとっても最高の一年を、それに気づかずに過ごした、
それもまたその人の能力である。
また生まれ変わったときにがんばりましょうや、というのがその方の話の筋だった。
生まれ変わり、ということはやはり仏教かなにかのお坊さんだったのだろうか。
29歳。
思い返してみれば、私もとても悩んだ年齢だ。
とんでもない高慢ちきな時代を過ぎ、仕事や恋愛においてのいくつかのおおきな挫折を経て、
仕事という、自分のちからでなんとなかる分野においてはそれなりの自信を深めたころ。
そもそもある分野に対して、「自分のちからでなんとななる」と思えるとういうことは、つまり自信を持てるだけの状態であったということなんだろう。それだけのことをやってきたという思いももちろんある。
そうしてふと、ではこの先どうしようかという深いモラトリアムに入ったのが、
いま思えば、ちょうど29歳のころだった。
これからなにをしようか。なにをなすべきなのか。
子供のころから夢だった職業に就き、時代の流れにもなんとか乗り、新しい分野にも手を出してそちらの造詣もそれなりに深めた。
でも本当にやりたいことはなんだろう。
それを、29歳の私はずっと考えた。
考え続けて、30歳になる直前に、それまで進んできた道からシフトチェンジをした。
確かにそこから、いろいろなことが変わったように思う。
仕事にしろ、仕事以外にしろ。
いまがパーフェクトだとは思わない。
これからもそうだろう。
それがまた私の人生だし性格なんだと思うけれども、
でも確かにあのときに選び取ったいくつかのものが、私の人生をつくり、つくっていくことは確かなように思う。
授業などろくすっぽ受けずに、アルバイトばかりしている大学生だったが、
ひとつだけ熱心に勉強した学問があって、
それは「ライフコース論」というものだった。教授とはいまも懇意だ。
「自分の人生は自分でつくる」という、おおざっぱにいえばそういう学問で、
人生の転機についてや、転機をいかに制御するか、自分の意志を人生に反映させるには、
というような具体的な手法論を、私はその教授から教わった。
そもそも転機というのは、その渦中にあるときには気づかない。
浮上しはじめてひとは、あああれが転機だったのだと気づくのだそうだ。確かにそのとおりだ。
29歳のときにしたいくつかの決断と選択のことを
いままた新しい決断と選択をしようとしているときに思い出した。
もう11月。一年は、日々はほんとうに早い。
3年前に転機を迎えた。
とても悩んだ時期だが、そのときの選択が・・・たとえば仕事、たとえば人間関係、こころのもちかた、などがいまの自分をつくっている、という内容。
彼女は私と同年代で、
だから3年前というと、ちょうど30歳前後にあたる。
最近読んだ本に、「29歳転機説」のようなものが書いてあった。
なんでも29歳というのは人生の節目にあたるらしい、
活躍をしているひとに人生の節目や転換点について話をきくと、みな「29歳」をターニングポイントと答える、のだそうだ。
そうして私がおもしろいと思ったのは、その本の著者があるひと(高名なお坊さんだったかな)に、「29歳」について聞いてみたというエピソードだ。
うろ憶えなので申し訳ないのだが、29歳というのは、生涯のなかでもっとも「素晴らしい」年齢にあたるのだそうだ。
だからそのときにした決断なり選択が、その後の人生に影響を与え、人生を輝かせるのは当たり前だ、と。
では29歳をのんべんだらりと過ごしてしまったらどうしたらいいんでしょうか?
著者は聞く。それはそうだ。なかにはそういうひとだっているだろう。
するとその高名な方は笑いながら、こういったのだそうだ。
それはもうどうしようもないですね。でもそれもまた人生です。
29歳という、誰にとっても最高の一年を、それに気づかずに過ごした、
それもまたその人の能力である。
また生まれ変わったときにがんばりましょうや、というのがその方の話の筋だった。
生まれ変わり、ということはやはり仏教かなにかのお坊さんだったのだろうか。
29歳。
思い返してみれば、私もとても悩んだ年齢だ。
とんでもない高慢ちきな時代を過ぎ、仕事や恋愛においてのいくつかのおおきな挫折を経て、
仕事という、自分のちからでなんとなかる分野においてはそれなりの自信を深めたころ。
そもそもある分野に対して、「自分のちからでなんとななる」と思えるとういうことは、つまり自信を持てるだけの状態であったということなんだろう。それだけのことをやってきたという思いももちろんある。
そうしてふと、ではこの先どうしようかという深いモラトリアムに入ったのが、
いま思えば、ちょうど29歳のころだった。
これからなにをしようか。なにをなすべきなのか。
子供のころから夢だった職業に就き、時代の流れにもなんとか乗り、新しい分野にも手を出してそちらの造詣もそれなりに深めた。
でも本当にやりたいことはなんだろう。
それを、29歳の私はずっと考えた。
考え続けて、30歳になる直前に、それまで進んできた道からシフトチェンジをした。
確かにそこから、いろいろなことが変わったように思う。
仕事にしろ、仕事以外にしろ。
いまがパーフェクトだとは思わない。
これからもそうだろう。
それがまた私の人生だし性格なんだと思うけれども、
でも確かにあのときに選び取ったいくつかのものが、私の人生をつくり、つくっていくことは確かなように思う。
授業などろくすっぽ受けずに、アルバイトばかりしている大学生だったが、
ひとつだけ熱心に勉強した学問があって、
それは「ライフコース論」というものだった。教授とはいまも懇意だ。
「自分の人生は自分でつくる」という、おおざっぱにいえばそういう学問で、
人生の転機についてや、転機をいかに制御するか、自分の意志を人生に反映させるには、
というような具体的な手法論を、私はその教授から教わった。
そもそも転機というのは、その渦中にあるときには気づかない。
浮上しはじめてひとは、あああれが転機だったのだと気づくのだそうだ。確かにそのとおりだ。
29歳のときにしたいくつかの決断と選択のことを
いままた新しい決断と選択をしようとしているときに思い出した。
もう11月。一年は、日々はほんとうに早い。