先ほど見ていたニュース番組で、
亀田一家をめぐる騒動について、星野仙一さんがとてもいいことを言っていた。

だいたい私は亀田一家の
品位のない態度、ものいい、周囲に対する敬意のなさ、すべてがとても嫌いで、
それはパフォーマンスだろうとなんだろうと見苦しく、
だからマスコミがこぞって亀田ファミリーを讃えていたときも、
まさに手のひらを返して叩いているいまも、一貫して気持ちは変わらない。

ただもうなんだかとても鬱陶しいなあという感じが強くしていた。
なんでいつまでもマスコミは騒いでいるの?
国民の関心事だから?それってほんとう?そんなふうに。

星野さんはそこを的確に表現されていて、
結局、彼らを御輿にかついだのも引き降ろしたのもマスコミだ、
そうしてもうコトは終わっているのにいつまでも騒ぎすぎていやしないか、
出る杭は叩いてもいいと思うが抜いてはいけない、
というようなことをおっしゃっていた。

星野さんにコメントをするよう水を向けたキャスターたちは
そのテレビ的ではない回答に鼻白んだような困ったなあという表情を一様にしていて、
一瞬しんとなり、うまく掬えないような状態になった。
そうだよね、困るよね、そんなこと言われちゃったらさ。と、横目でニュースを見ながら可笑しくなった。

そうして私は私の感じることをたいせつにしないといけないと思った。
私が感じること。そのことよりも強く確かなことはおそらくないのだ。
情報はだってあくまで情報でしかないのだから。
受け手がいて作り手がいる。作り手がある以上は情報はリアルではない。
ただあるものをうつしているだけであっても、すべてをうつせるわけではない。
そこにあるのは、選び取ったなにか。

今朝は恋人がクロワッサンを焼いてくれた。
すこうし切れ目を入れてバターをたらして焼いて、カリカリのふわふわでとてもおいしい。
うまいやろ、そうやろ、と言っていて、そういうときの恋人が私はとても好きだ。

仕事をしながら近所の日替わり喫茶店へ。
今日はベジタリアンカフェの日。
野菜のプレートを食べ、オーガニックコーヒーを飲み、黒豆茶をおかわりする。

夜は恋人と家でごはん。
遅いから食べてくるのかなと思ったら、食べずに帰ってきた。
秋刀魚、大根の浅漬け、大根と椎茸と油揚げの味噌汁、冷奴、線キャベツ、豚肉のチーズ明太巻きフライ。

実家から大量の野菜、林檎が届く。
恋人が林檎好きと知った母がやたらと送ってくるのだ。
オレむっちゃ林檎好きやからどれくらいでも食べれるで。と恋人はいうのだが。

田口ランディさんの「旅人の心得」「オカルト」を読む。
本を読んでいないで試験勉強を・・・(以下自主規制)。