朝、たまたま見ていたテレビで、
人力自転車をつくるフーテンの70歳、というおじさんの特集をやっていた。
テレビというのはどうしようもない一面もあるが、
やはり素晴らしいものでもあるなとこういう番組を見ると思う。
途中から見たので違っている部分もあるかもしれないが、
そのおじさんは放浪癖があって、若いころは海外をぶらぶらと旅して歩いていたらしいのだが、
いまはカンボジアで、地雷で足をうしなったひとが日常に足代わりとなるような
手作りの人力自転車をつくっている。
ビジネスで大々的に、というよりも、町工場みたいなところで自力でちょこちょこやっている感じ。
英語なんてめちゃくちゃカタコト。
でも賢明に自転車をつくるおじさんによって、足をうしなった若者も、年配のひとも、ひとりずつ救われている。
おじさんの実家は鎌倉にあって、弟さんがそこに住んでいる。
ふらりと帰ってきたフーテンのおじさんに、生活費でもあり活動資金でもあるお金を黙って差し出す弟さん。
そうしておじさんはまたカンボジアに戻り、自転車をつくる。
友だちのお父さまが、退職後に新しい会社をはじめたそうだ。
これもずっと前に友だちが書いている日記で読んだのでうろおぼえなのだが、
確か東南アジアの若者を、日本の企業に紹介する会社だったと思う。
定年前は地元鹿児島の有名企業で要職に就かれ、さて退職後はなにを、というときに、
アジアの若者のための人生を選んだ。
とても活き活きとお仕事をされている様子が、その日記から伝わってきたことをよく憶えている。
先日、この日記で書いたばかりの、
バンコクで暮らすKさんから、またメールが届いた。
「社会起業家」を取り上げたテレビ番組で、
「一口25ドルでウガンダを救え」「農村に医療バスを走らせたい」「ホームレスが稼ぐ100万ドル」という3回の番組。
とても感銘を受けたそうで、自らの新しい仕事に対する指針、のようなものを得て、
いまは「もったいないこと」をビジネスにできないか模索中なのだとか。
フーテンのおじさんと弟さん、友だちのお父さま、バンコクのKさん。
この4人は、私のなかでシンクロする。
そういえば「もったいない」って、今年だったかな、流行ったけれども、またどこかにいってしまった。
私が子どもの頃は、もったいない、というのは本当によくいわれたし、子どもをしかるときの常套句のひとつだった。
戦前生まれの祖母は、子ども心にもとてもしまつなひとだったなあと思う。
いまはやっと悠々自適に近い暮らしをしている両親も、お金をかけるところはとてもかけるが、そうでないところはまったく質素。ものすごくダイナミックなのだが、それでも「もったいないから」、というのはたぶん口癖だ。
私にももったいない精神は宿っているのだが、やはり先代たちには到底かなわない。
それでもここ数年で、やっともったいない精神が宿って(戻って?)きて、一時の流行りではなく生活に根付かせているものもある。やはり親ににてダイナミックに、ではあるけれども。
なんにせよ、なにも意識せずにいた、というよりも、忙しさにかまけて見てみぬふりをしていたころの自分よりも、
いまの自分のほうがよほど好きだと思うのだった。
人力自転車をつくるフーテンの70歳、というおじさんの特集をやっていた。
テレビというのはどうしようもない一面もあるが、
やはり素晴らしいものでもあるなとこういう番組を見ると思う。
途中から見たので違っている部分もあるかもしれないが、
そのおじさんは放浪癖があって、若いころは海外をぶらぶらと旅して歩いていたらしいのだが、
いまはカンボジアで、地雷で足をうしなったひとが日常に足代わりとなるような
手作りの人力自転車をつくっている。
ビジネスで大々的に、というよりも、町工場みたいなところで自力でちょこちょこやっている感じ。
英語なんてめちゃくちゃカタコト。
でも賢明に自転車をつくるおじさんによって、足をうしなった若者も、年配のひとも、ひとりずつ救われている。
おじさんの実家は鎌倉にあって、弟さんがそこに住んでいる。
ふらりと帰ってきたフーテンのおじさんに、生活費でもあり活動資金でもあるお金を黙って差し出す弟さん。
そうしておじさんはまたカンボジアに戻り、自転車をつくる。
友だちのお父さまが、退職後に新しい会社をはじめたそうだ。
これもずっと前に友だちが書いている日記で読んだのでうろおぼえなのだが、
確か東南アジアの若者を、日本の企業に紹介する会社だったと思う。
定年前は地元鹿児島の有名企業で要職に就かれ、さて退職後はなにを、というときに、
アジアの若者のための人生を選んだ。
とても活き活きとお仕事をされている様子が、その日記から伝わってきたことをよく憶えている。
先日、この日記で書いたばかりの、
バンコクで暮らすKさんから、またメールが届いた。
「社会起業家」を取り上げたテレビ番組で、
「一口25ドルでウガンダを救え」「農村に医療バスを走らせたい」「ホームレスが稼ぐ100万ドル」という3回の番組。
とても感銘を受けたそうで、自らの新しい仕事に対する指針、のようなものを得て、
いまは「もったいないこと」をビジネスにできないか模索中なのだとか。
フーテンのおじさんと弟さん、友だちのお父さま、バンコクのKさん。
この4人は、私のなかでシンクロする。
そういえば「もったいない」って、今年だったかな、流行ったけれども、またどこかにいってしまった。
私が子どもの頃は、もったいない、というのは本当によくいわれたし、子どもをしかるときの常套句のひとつだった。
戦前生まれの祖母は、子ども心にもとてもしまつなひとだったなあと思う。
いまはやっと悠々自適に近い暮らしをしている両親も、お金をかけるところはとてもかけるが、そうでないところはまったく質素。ものすごくダイナミックなのだが、それでも「もったいないから」、というのはたぶん口癖だ。
私にももったいない精神は宿っているのだが、やはり先代たちには到底かなわない。
それでもここ数年で、やっともったいない精神が宿って(戻って?)きて、一時の流行りではなく生活に根付かせているものもある。やはり親ににてダイナミックに、ではあるけれども。
なんにせよ、なにも意識せずにいた、というよりも、忙しさにかまけて見てみぬふりをしていたころの自分よりも、
いまの自分のほうがよほど好きだと思うのだった。