そういえばこれはきものを気にしだしてから感じたことなのだが、
「はじめてのきもの」というのは、どうやらとても特別なものらしい。
みなが、まあそうなの、という感じで、にこにこと、とてもあたたかく気持ちよく接してくださる。

さて着付けも完了。
はじめて見るきもの姿、鏡のなかの自分に自己満足。
もうこれだけでも買ってよかった、着てよかった、という感じだったのだが、
いざみんなが待つ親族控え室に到着してみたところ、
居合わせた大叔母さまやほとんど知らない親戚のおばさま、おじさまがたがくちぐちに、素敵ねえ、似合うわねえ、といってくれていよいよもってほんとうに嬉しくなる。
今回結婚する従妹のお兄さんの結婚式の際は洋装で出ていたのだが、そのときの反応とはずいぶんな違い。
やはりきものというのは偉大である。

もっとも心配していたのは両親の反応で、
なにしろ私は、10数年前の成人式のときに、両親が何度も晴れ着をつくってくれるといってくれたのに、
「成人式のきものをつくってくれるくらいなら旅行にいくお金をちょうだい!」と応じたくらいの親不孝娘である。
(もちろん親は激怒し、お金はもらえなかった。当然である)
それだけに、「Mちゃんの結婚式はきものを着ることにした」と伝えたら、
電話口の母は小躍りせんばかりに大喜び、お父さんお父さん、ナオきもの着るってーと電話口で伝えていたくらいだ。

さてきものの私を見て、そんな母もとても喜んでくれたし、
父は結婚する従妹をさしおいて、私の写真ばかり撮っていた。親ばかである。

兄弟たちも、ナオちゃん似合う!と素直にほめてくれて、ひごろは面と向かって絶対に褒めたりしない無骨なオトコ兄弟だけに、とても嬉しい気持ちになる。

きものを着ていらっしゃいな、それだけでなによりの結婚のお祝いになるんだから。
と今回、きものを探しているときに出会った何軒もの呉服屋さんからいわれていて、
そのときはそうなのかしら?とあまりぴんとこなかったのだけれども、
いざきものを着てみると、確かにきものというのは、まったく洋装と違うのだということがよくわかった。
なにしろ場がとても華やぐし、きもののひとがいる、というだけで、きちんとした場の印象も与えるし、それにまわりの雰囲気もずいぶんと明るく、特別なものになる。

肝心の従妹もとても喜んでくれたし、
ほんとうにきものを着てよかったと思う。

式の後は、恋人がお迎えに。
雨と寒いのがなによりも大嫌いな恋人なのに、
お式が終わったと電話をしたらあっというまにお迎えにきてくれる。
そうして待ち合わせの喫茶店の入り口で私を見つけた恋人は、
いつもよりもとても嬉しそうで、
ほんまええやん、似合うでと、にこにこしながら何度も言ってくれる。
髪型もメイクもほめられた。嬉しい。
恋人に喜んでもらえるのは、やはりとても嬉しいことなのだ。なによりも。
ふたりで一緒に家まで帰る。しあわせ。

さてそんなこんなのはつきものの日。
思っていた以上に「きものの私」はとても楽しく、ハッピーだ。
きものを着ようと思ってよかったし、頑張ってつくってよかったなあと
つくづく思うのだった。



きもの

はつきもの。