Kさんというひとがいる。
いまは仕事の関係でバンコクにお住まいで、
それまでもいまも世界中のあらゆるところを旅して歩いている。

Kさんとはこのブログを通して出会った。
まだお会いしたことはないけれども、父とほとんど同年代で、人生経験も豊富なKさんが
時折くださるメッセージやコメントは、はっとすることも考えさせられることも多い。

そんなKさんから、
昨日、久しぶりに届いたメッセージ。

心地よくないことが隣の国でおきています。
私がミャンマーを訪れたのは1999年。
早朝、朝日が昇る前托鉢する僧侶の列に会いました。
朝の修行を整然と裸足で歩いていました。
その僧侶たちに銃が向けられて、、、。
タイでも去年クーデターがおきいまなお軍事政権が
実権を握っています。

悲しいことが次々におきますがまず、できることから
はじめるしかないですね。
隣の人を愛しましょう。この行為が国境を越えていけばいいのですが。
なおさん、ならどうする?

どうする。
どうする?

Kさんのシンプルな投げかけに戸惑う。

ミャンマーの報道はニュースで見た。
日本人の報道カメラマンが亡くなったせいもあり、
日本でもたくさん報道されているから。
痛ましいことだと思う。
亡くなった長井さんもそうだし、現地の人たちもそう。

ただとても痛ましいけれども、私は積極的になにかをすることはできない。
たとえば平和な生活が戻るよう祈ったり、金銭的に援助したり…コンビニエンスストアに誂えられた募金箱にお金を入れたり…は、できるけれども、
たとえばミャンマーに行って平和な日常が戻るような手助けをするなどということはできない。
ミャンマーだけではない。
Kさんが住んでいるバンコクでクーデターが起きたときも、
私はKさんの無事と、Kさんが微笑みの都と何度もいうその街が、
一刻も早い平和な日々に戻るよう祈ることしかできなかった。

できなかったというよりも。しなかったんだと思うけれど。

だって私が遠く離れたところにいるひとたちに「できる」のは、
そういうほんのちいさなことだけだ。
もっと行動的で勇気があるひとだったらきっと違うだろう。

ただいつだって私にできるのは。
いまいる日常の安穏さに感謝をすること。
感謝をし、こうした生活がこの先も続くようにすること。
まわりにいるたいせつなひとたちのしあわせが
この先も続くようにはからうこと。
それくらいがかろうじて、私が「できる」現実的な範囲だ。
たとえば家族とか恋人とか友だちとか、
そういうほんの数人の私と密接なひとたち。
だけれども。そのひとたちのためになら私は力の限りを出せる。

知らない多くのひとたちになにかを
強制することも洗脳することも扇動することもおおきな声を出すことも
私には難しいし性に合わない。

ただその現実的な範囲が、少しずつ広がればいいなといつも思う。

そういえば昨日の朝は、赤い羽根の箱を持った女の子たちが
いたるところに立っていた。
いつも思い出したように女の子たちの箱に持っている小銭を入れる。
そういうことをばかばかしいとは思わない。
たとえそのお金が、ほんとうに必要なひとたちに使われなかったとしても、
そのうちのいくばくかでも使われるならいいと思う。

それも私なら「どうする?」への、ささやかなこたえだ。