警察官が、電車だかで乗り合わせた態度の悪い若者を怒って、平手打ちをくらわせたことで逮捕されたというニュースを読んだ。
内容はうろ覚えなので、細部は間違っているかもしれない。
印象的だったのは、この警察官に情状酌量を求めるメールや電話が、短い時間に数百件届いたということだ。

怒る人のこと。

怒る人をあまり見なくなった。
私が子どものころは、親をはじめとして、学校の先生やお稽古の先生、近所のおじさんおばさん、上級生、身のまわりに怒る人がたくさんいた。
むやみに怒りっぽいひともいて、そういうひとには閉口したものだけれども。
それでも間違ったことをするとまわりには、それは間違っていると指摘してくれるひとがたくさんいて、
怒られたそのときは拗ねたりむくれたりしたことも多かったけれど、
それでもいま思えばそうやって、どうあるべきかということをきちんと教えられていたのだろう。
親だけでは目が届かない部分はたくさんあって、それは仕方のないことなのだから。

そういえば電車のなかやレストランなどで行儀の悪い子がいると、
うちの母なども、それがよその子であっても叱りつけていたし、
逆にとてもいい子がいると、叱るとき以上に誉めてもいた。

先日、家の近くの道を歩いていたときのこと。
道の先に不動産会社の物件を紹介する立て看板があって、
そこに小学生くらいの男の子が座ってなにかをしていた。
特に気にも留めずに通り過ぎようとしたところ、
その不動産会社のはす向かいのお店の内装工事していた職人のおじいさんがいきなり店から走り出てきて、
その小学生の子をしかりつけたのだ。

なにやってるんだ、
そうやっていたずらすると、このお店のひとは迷惑するんだ
さあこの看板にしたいたずらをすぐに直しなさい

というようなことを、そのねじり鉢巻のおじいさんはいっていて、
私は成り行きが気になって、わざとゆっくりとそのそばを通りつつ、
ちょっと離れたところで立ち止まって様子を見ることにした。

さて注意をされた少年はものすごく不貞腐れた顔をして、
看板をなおすふりだけして走って逃げようとする。

あああ、逃げちゃうのか。
だめだなあ。と私は思った。

すると。
なんとおじいさんは、走って逃げる男の子の首根っこを、
文字通りひっつかまえて、看板の前まで引きずってきて、

ふざけるな、きちんとなおせ、というようなことをさらにいいつのったのだ。

少年は恐れをなしたのかどうか、
さらに不貞腐れたような顔と態度をとりながらも、
もとどおりに看板を直した。

その様子を腕組みをしてみていたおじいさんは、

よし。えらいぞ。
もう二度とするなよ。

男の子の頭をなでたのだ。
日焼けした顔をくしゃくしゃにして。笑いながら。

まるでつくりばなしのような話だけれども。
でもほんとうに、つい先日に、この東京で見たひとつの光景だ。

きちんと怒ることと、
そうしてその原因をあらためのならば
きちんとほめること。

他所の子だろうと自分の子だろうと、
いいことはいいし悪いことは悪いのだ。
いいことは誉めるし、悪いことは怒る。

その当たり前のことを、ひとはどうして思わなくなったのだろう。
しなくなったのだろう。
なんでもタニンゴトになってしまったのだろう。いつから。

そのおじいちゃんを見ながら、
そんなふうに思う。

私もすこし勇気を出して
いやだなとかいいなと思ったことを
口に出してみようかなと思う。
いまよりほんのすこしだけでも。

うっせーババアとか。
いわれちゃうんだろうけれどね。