最近、足の悪いひとを多く見るようになった。
たいてい両足の付け根とか、あるいはひざあたりから内側に向いてしまっていて、
ひきつるように歩いているひと。

以前もそういう歩き方をするひとはときどき見たし、
子どものころ、近所に住んでいる仲良しのひでのりくんという男の子が
やはり足のひきつりがあったし、
でも最近は、とみに多く見かける気がする。

最近、足の悪いひと多く見ない?と恋人にきいたら、
そういえばそうやな、前より絶対多いと思う。と恋人もいう。
私が、私たちがとしをとって、前よりも周囲をよくみているということなのだろうか。
でもどうも、それだけでもないような気がしてならない。
なにかが起きているのだろうか?私の知らないところで。

私はうまれてくるときに両脚の股関節脱臼をしていて、2年くらいギプス生活だったし(記憶にはないのだけれども)、いまでも股関節が痛いしはずれそうになるときもある。
もしかしたら、そういう、私のようなひとたちが、なにかをきっかけに再発をしているということなのだろうか。

とても歩きにくそうだ。
階段などは荷物を持つとか手を貸したりしたほうがいいのかなと思って
結局なにもしない。

電車で席を譲ることはできても、手を貸すことにはなれていない。

今日、会社の最寄り駅の自動改札を抜けるちょうど手前くらいで、
目の悪いひとを見た。
弱視か盲目かは定かではない。黄色いぼこぼこをなぞって歩いている中年の男性。
ビジネスマンなんだろう、スーツに肩から提げた通勤バッグ。
もし困っているようなら手を添えよう、と後ろから近づいたら(しかしこういうのは却って迷惑なんだろうか)、
そのひとはふつうに自動改札を、私なんかより上手に通り抜けて行った。
私はそのひとの真後ろで、自動改札を抜けた。

すると。
その先に、会社の後輩らしい、首から社員カードをぶらさげた、そのひとより10歳ほど若く見える男性が立っていて。
おはようございます、○○さん、今日も暑いっすね~と大きな声でいって、そのひとの横にすっと立ち、腕をつかまらせて歩きはじめたのだ。

なんだかちょっとした衝撃だった。
その挨拶からして、きっとその会社では、目の悪いその中年男性が、ふつうに仕事をしているのだろう。
そうしてその中年男性が、ふつうに仕事をするために、そうでないひとが、あるいはひとたちが、
ふつうに毎朝、駅まで迎えにきているのだろう。

駅の自動改札はざわざわと煩くて、
だから大きな声で、おはようございます、○○さん、といったのだろう。

そのふたりは私とは行く方向が違った。
私はふたりを遠めに見送る。
どんどんと遠ざかるふたりは、ずっとなにか言葉を交わしている。

目が悪いとか足が悪いとか
私にはほんとうにはわからないことだらけだ。
でもどうしようかな?と逡巡しているよりも、すっと手を出せるほうがいいんだろうなと思う。
その「手」がいらない「手」なら、きっと彼らは断ってくれるだろう。

そういえばずっと前に、骨折をして松葉杖をつきながらものすごく混む沿線で通勤をしていたことがあって、
そのときに何人ものひとたちが席を譲ってくれたり、あるいは人がいない場所を空けてくれたりした。
階段で手を貸してくれたひともいた。
みんなが会社に着くまで少しでも眠りたい、あるいは疲れて帰る時間帯だ。
1分でも早く、家に帰りたいだろう。知らない女の子に手を貸している時間があるならば。
それなのに、それでも、
何度も何度も「どうぞ」といわれた。「大丈夫ですか」といってくれた。
数多くの、知らないひとたち。

すごくうれしかったんだよな、あのとき。
迷惑なんてちっとも思わなかったもの。