わかっていなかったなあと思う。
この本を読んで、それがとてもよくわかった。
いやもしかしたら。
私もとしをとった。
たいせつなひとができて、親兄弟のありがたみも昔よりよくわかり、子どもを持つ親の気持ちも少しだけわかる年齢になった。
そのせいで、やっと、わかるようになったのかもしれない。
もちろんすべてはわからない。
でも子どものころよりもずっと、言葉が胸を刺す。
最後はお母さん、といって死ぬんだよ。
オクニのために死ぬことが良いとされていても、みんな、最後は、お母さん、奥さん、好きなひと、子どものことを思うんだよ。
母が戦争について語るとき、たいていはこの話が織り込まれていた。
戦争はむごいねえ、といつも最後は目を真っ赤にする。
いまならその意味が。
子どものころよりもずっとわかる。
戦争はむごい。
本当だと思う。
わが妻、シズエへ。
何も言い残すことはない。君と結婚して十七年がたった。幸せな思い出に満ちた十七年だった。来世への思い出でこれ以上のものはないだろう。君になんとか恩返しをしたかった。感謝の気持ちでいっぱいだ。
生きやう生きやうと努力して、遂その果ひなく、ここに記す。運命と言へば終りだ。
一生の生活を通して、終生の心境が如何に変化しようと、学ばんと欲する心は永久に変わらざると信ず。今からでも境遇が許すならば、希望の道に進みたいと思ふ。
敵は飛行機を持っている。我々は何もすることができない。肉体は弱り果て、我々はもはや生きていく気力を失っていた。
節子の肌、恋し。
飢えながら我々は行進している。兵士たちは青白い顔だ。日本刀を杖にして歩いている奴もいる。前進することは死を意味している。状況は信じられなく最悪なものだ。撤退命令もなく、我々の命は風前の灯火だ。私は戦争を引き起こした人間が憎く思えてきた。
シゲアキ、ジュン、どうか許してくれ。夜、歩哨中に、うたた寝をすると、ジュンを抱き、シゲアキの手をひいて私に会いに来た妻の夢を見た。いまにも妻と子ども達が、道を歩いて監視地点に立つ私のもとにきそうな錯覚を起こした。
天佑必ず皇軍に在り。勝利必ず我に在り。勇猛果敢に突進すべし。そして心の底の眞をいへば恐ろしい。
戦争は、悲しい。
ある者はサイパンのバンザイクリフの手前のジャングルで。
ある者は生きては帰れないといわれたニューギニアで。
ガダルカナルで。コロンバンガラで。ルソンで。
生と死のはざまで連綿と綴った日記に。
その言葉に。
私は激しく打ちのめされている。
私は語ることばを持たない。
これまで毎日のように書いているこの日記はなんだ。
比ぶべくもないのはわかっているのだが。