おそらく幸いなことであるのだが、私の近親者に戦没者はいない。
数年前に他界した祖父は、出征直後に終戦を迎えた。
戦後はレッドパージで職を失い、とても貧しかったと、戦後にうまれた父から聞いている。
でも。少なくとも戦争で死んだわけではない。
祖父の遺影と並んで、田舎の仏壇には、祖父の父が出征したときの写真が飾ってあるけれども、
それはひとつまえの戦争で、そうして怪我ひとつなく復員したそうだ。
戦中には大宮に住んでいた母方の祖母は、空襲に何度もあっている。
ゼロ戦が打ち落としたB29から落下傘でアメリカ兵が落ちてきたのを見た話、というのを何度も聞いた。
早くにつれあいを亡くした祖母は、戦後の混乱期を女手ひとつで私の母と母の姉である伯母を育てた。
田舎の農作物を東京の闇市で売り、東京で仕入れたものを田舎で行商する生活をずっとしていた、おばあちゃんには頭が上がらない、と母はいまでもしばしばいう。
いまはもう自分が誰かすらわからない祖母も、そうしてとうの昔に亡くなった祖母の夫も、やはり戦没者ではない。
ただ私の両親は私たちきょうだいが本当に幼いころから、
戦争はいけない、戦争はかなしい、どんな理由があっても絶対に戦争だけは起こしてはならない。
と、繰り返して言っていたし、たとえば松代の大本営跡地や、上田の無言館(戦没した画学生の作品を展示している美術館)にも何度家族で行ったかわからない。もちろん広島や長崎にも行ったし、本もたくさん読んだ。
両親が学生のころは学生運動が盛んだったころで、ベトナム戦争反対や安保改正反対のデモに行っていた話、というのを、何度も何度も聞いた。
だから私にとっては、戦争というのは、とても近いものだったのだ。
実際に遭ったことがなくても。戦後うまれの両親と同じように。
そう思っていたのに。
数年前に他界した祖父は、出征直後に終戦を迎えた。
戦後はレッドパージで職を失い、とても貧しかったと、戦後にうまれた父から聞いている。
でも。少なくとも戦争で死んだわけではない。
祖父の遺影と並んで、田舎の仏壇には、祖父の父が出征したときの写真が飾ってあるけれども、
それはひとつまえの戦争で、そうして怪我ひとつなく復員したそうだ。
戦中には大宮に住んでいた母方の祖母は、空襲に何度もあっている。
ゼロ戦が打ち落としたB29から落下傘でアメリカ兵が落ちてきたのを見た話、というのを何度も聞いた。
早くにつれあいを亡くした祖母は、戦後の混乱期を女手ひとつで私の母と母の姉である伯母を育てた。
田舎の農作物を東京の闇市で売り、東京で仕入れたものを田舎で行商する生活をずっとしていた、おばあちゃんには頭が上がらない、と母はいまでもしばしばいう。
いまはもう自分が誰かすらわからない祖母も、そうしてとうの昔に亡くなった祖母の夫も、やはり戦没者ではない。
ただ私の両親は私たちきょうだいが本当に幼いころから、
戦争はいけない、戦争はかなしい、どんな理由があっても絶対に戦争だけは起こしてはならない。
と、繰り返して言っていたし、たとえば松代の大本営跡地や、上田の無言館(戦没した画学生の作品を展示している美術館)にも何度家族で行ったかわからない。もちろん広島や長崎にも行ったし、本もたくさん読んだ。
両親が学生のころは学生運動が盛んだったころで、ベトナム戦争反対や安保改正反対のデモに行っていた話、というのを、何度も何度も聞いた。
だから私にとっては、戦争というのは、とても近いものだったのだ。
実際に遭ったことがなくても。戦後うまれの両親と同じように。
そう思っていたのに。